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■ 弁護士さんについて | 2009. 8. 2 |
典型的なエリートである。 昔は年500人しか弁護士資格を取ることはできなかった。 医者の資格とちがって足切りの為の試験であったそうで、受験者の中から強引に上位500人を選抜していたワケである。 今もそうかもしれないが、年2,000人は新しい弁護士が誕生するようになった。 近頃は雑誌などでも歯科医と同じく弁護士もあまり豊かではない人々も増えているそうで、昔のように「エリートです」なんて威張っておれなくなったようである。 エリートというのは、人口1万人に対して120人以上になったらそのような呼称はしにくくなるそうである。 そうであれば、天下の弁護士様、お医者様、高級官僚様もそうそう安閑としてはおれない時代になった。 エリートとして堂々と存在していたいという人々にとっては・・・。 エリートの皆さんは大変な多忙とチョットしたスキャンダルにでもマスコミの格好の餌食にされる恐怖もソコソコに慎重なエリートなら持っている筈である。 エリートというのは選ばれた人という意味では特権も多少あるが、義務と責任の方がはるかに多い。 いずれも国家資格保持者であるので、極言すればみんな公僕である。 社会の奉仕者出なければならない。 社会の規範とならなければならない筈であるが・・・。 それぞれに或る程度の人格とか見識とかを備えておかなければならないと思えるのであるが、ナカナカそのような人物には残念ながらお会いしたことがない。 いずれの分野の人々も才能、才覚、有意つまり」アタマデッカチか、資格を取っただけのボンクラかいずれかである。 中にはエセ人格者みたいな人も混じっていて、いささか紛らわしい。 世間の人々も余程の眼力が無いとそのようなバランスの取れた高徳のエリートというのは発見できない。 そもそもいくら高徳な人々でもささいな色と欲の誘惑でいっぺんに奈落に落ちていく可能性だってあるのだ。 これらの人々も資格を持っている分そこに甘んじて、努力をしない、技術や知識や腕を磨いて本分を全うしようなどという奇特な人は極めて稀である。 かくいう筆者も全く例外ではない。 海外の貧困地域、紛争地域に出かけて行くボランティアのお医者様もおられて、現地でそのお仕事ぶり見るとアタマが下がるが、それでも精神的苦痛などは日本の厳しい医療の現場に立って毎日悪戦苦闘しているドクターにくらべると何だか呑気にみえる。 お金の計算とか人事とか人間関係とか税金とか資金繰りとか増患とか何も考えないで、ただひたすら患者さんの為に尽くせば良いように見えて、心ならずも羨ましいとさえ思える身分に見える。 将来はそういうお医者になって、難民とか貧民とか窮民とかを救っていきたいと思うが、この豊かな先進国にも病める肉体と心で苦痛や煩悶を味わっている人々も数限りなくおられるので、ワザワザそんな外国まで出かけていかなくてもよさそうに思える。 正直な感想だ。 一方、弁護士さんの仕事も外聞は良いが、結構大変な仕事である。 殆んど欲と色の世界と、国家権力つまり法律そのものとのはざまで話したり、聞いたり、考えたり、書いたり、役所や裁判所や現地に出かけたり、人を説得したり脅したり、スカしたりしながら「話し」をまとめていくのであるから、ナカナカ手強い仕事と思える。 かなり太い神経と強腕図々しさがいるのではないかと思える。 この職業にもやはりピンからキリ、松から竹、A〜Dまでランクというか力量というか腕があるようで、傍目よりはるかに差があるようである。 ありがとうございました 濱田朋久 |