コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ おいしいおしり2009. 8. 2

ずいぶんとエラソ〜なことばかり書きなぐって来たので、ソロソロやわらかいものを書いて下さいというような読者の方のあたたかいお言葉もさずかったりして、突然ですがやわらかいはなしをします。
このような表題だとギョッとしてたいがいの人は読んでくれると思うので、そのギョッとした表情、ニヤけた表情を思い浮かべながら筆を走らせている。

人間の心の成長には口唇期、肛門期、男根期というものがあって、これらは主に生下時から幼児期までに完成してしまうらしい。
(またまたムズカシクなってしまいそうだ)
幼児期にほぼ完了してしまう筈のものであるが、その完了、未完了欲求の名残りの有無がその後の長い長い人生に暗い影や明るいエロスをもたらすようだ。

人間に限らず生物というものは、純粋に本能的には、
@食べて、A排泄して、B生殖するという3行動に大きく分類することができる。
これが高等動物、ある程度進化した生き物になるとC育てるという行動が必要になる。
人間という高等動物(勝手に思っているだけかも知れないが・・・)の場合、その生殖の結果生まれた子供というものが極めて未成熟な状態で生存しなければならないので、親の養い育てる、またある段階からは教え育てる、つまり教育というものが必要になるが、これこそが人間を人間たらしめている、他の生物と大きく異なった特徴になっている。
つまり、ヒトが人間になる為には必ず養われ、育てられ、教えられなければならないものだからだ。

一方で、成熟したヒトというものにはどんな状況であれ、人間として生きていく上で養い、育て、教えるという立場に立たされる。
・・・というより、一般的に立たなければならない・・・と考えられる。
この養い、育て、教えるという親の作業というものは、生下時から始まるのであるけれど、通常の状態で未熟な若い親が生み落とすワケであるので、殆んどそこには快楽と本能の名残りか、もしくはあってもせいぜい文化とか習慣とかの影響がある程度である。

大概の場合、この「子育て」というものは失敗に終わるのであるが、これについては次のテーマにしたい。

この本能と快楽とは深くつながっていて、ヒトも生まれた途端に目も見えないのに母親の乳首を探り当て、それを自然に吸引するこの時期を口唇期と呼ぶ。
この口唇期の欲求の未完了の子供は成人してもオッパイを求めるし、幸いにも完了していたとしてもオッパイを求めるが、この欲求は成人しても根強く残っているようだ。

「タバコを吸う」という行為も、その欲求の代償行為であろうし、タバコの直径というのもよく計算されていて、それは人間の女性の乳首の平均サイズになっているらしい。
女性の場合はこの欲求も間食であるとか過食であるとか、そういうストレス性の摂食行動に表われるようだ。
バブバブという風に母親や女性の乳房を求めるのはマザコン男やスケベ男だけでなく、女性の場合もその潜在意識にそういう欲求が隠されているのであろう。
最近はタバコを吸う女性も多い。
ある学者によると、このオッパイもおしりの代用としてあるらしく、スカートの端からのぞいている女性の膝小僧もまるい魅力的な双球になっていて、これは主に性的な欲求の対象として、女性(時には男性のそれも)のおしりが第1で、2番目がオッパイで、膝頭が3番目でという風に無限にあって性的欲求の第1番目に君臨するのはどうもおしりであるらしい。
しかし、おしりというのは排泄する器官をおさめているひとつの(ふたつのかも)膨らみである。
なんでそんなものに人間の、特に男は興味を示すかというと、これはどうも「神のみぞ知る」という世界で、欲求そのものもそうであるが、誰かがある意図を持って考え出したものではない。
神のお恵みであるのだ。

これがゲイ(男性の同性愛)の人々の中には男性のおしりにも興味があるらしいので、このあたりは不勉強にして不明であるけれども、女性についての男性のカラダの部分で興味関心を示すそれもおしりだったりして驚く。

女性も男性もおしりやオッパイが好きなのであろうか。

女好きの男をさして「女の尻を追いかけてばかり」という風に昔から表現するが、このあたりをキチンと解明するにはもう少し研究が必要であるようだ。
おしりの中にうずもれている肛門に異常に興味を示す人もいて、実際にそれを性器のかわりに使用したり、愛撫したり、なめたり吸ったりというようなことを快楽に感じる人もいるし、されるのを好む人にいたっては男女ともに存在しておられるらしい。
スカトロジー(排便マニア)というやや変態とも呼べる趣味の人もいてナカナカ深いものがある。

筆者自身に思いをいたすと、どうもこの口唇期の欲求は長男でもあり母乳で育てられた為かあまりなく、男根期というものもあまり意識されず、だからと言ってやはり肛門期人間なのであろう。
自らのおしりにはサービスされるのが好きというワケではない。
女性のおしりを追いかけるという行動に踏み切る勇気は小心にして殆んど持ち合わせていないが、それを鑑賞することについては誠にもって男としてやぶさかではない。
具体的には外観である。
それは大きすぎもせず、小さすぎてもならず、扁平過ぎても膨らみすぎてもイケナイ。
ちょうど良い丸さの程よいやや大き目のおしりに魅かれる。
これは鑑賞するにはスカートが良いが、デザインの洗練されたタイトスカートとかフレアスカートとかプリーツスカートとかいずれでも良いが、ほどよく上品に慎ましくおしりが包まれているのをしみじみと眺めていると、何とも言えない甘いうずきを感じるが、明確な理由がないのでまことに不思議である。

その感触であるが、これは固くも柔らかくもなく、できればシワが一本というのがベストである。
陸上競技の選手の固そうでコリコリしたものはあまり好みではない。

日本人のおしりは最近若い人を中心に小尻に人気が集まっているが、アジア人の中ではやはり日本人が一番好もしい。
アジア人でも南の方に行くほどおしりの長さが短くなって、つまり出っ尻になってしまって、これには全く色気を感じない。
やはり少し垂れ気味の縦長のおしりが美しく感じる。

殆んどの日本人の女性のお尻は概ねとても美しいが、今は小尻ブームの為か極端な小尻か、中には拒食症という大変な心の病気の為に貧尻(ジリヒンというのはこれが発祥かなぁ)の人もあってこれはいかにも淋しい。

そしてその味わいであるが、モチロン何種類もの排泄器官の出口であるので、その分泌物、排泄物の為にいささかニオイのあることもあるが、このニオイというのはおいしさの大事な構成要素であるので、さらには相性というものもあって個人差が極めて大きい。
いずれにしても入浴後のおしりは味がしないので、これは石けんのニオイと味でいささか興ざめであるらしい。
付け加えておくが「おいしそうなおしり」と「おいしいおしり」は全く別なもので、前者は不特定多数の女性(男性)のあくまで外観に対して表現されたもので、「おいしいおしり」というのは純粋に生物学的、遺伝子的に自然に決められた相性と精神的な愛情に裏うちされたものでなければならない。
人間の存在の原始的、本能的な一面として、食すること、排泄すること、生殖すること、これらのシンボルとして口唇(くちびる)があり、おしりがあり、男根(ペニス、クリトリス)があり、これらが上手に組み合わさって一見複雑に見える人間の生命活動の本質的な日々の営みが分類され、整理され、統合されて日常生活をあらためて見返すと、何だか物悲しい気分に襲われると同時に、生きること、楽しむことの何がしかのヒントになると思い気ままに筆を走らせてみた。
シモネタでスミマセン。

ありがとうございました
濱田朋久


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