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■ 悲しみよこんにちわ | 2009. 8. 2 |
2004年に69才で亡くなった、フランス人の女性作家フランソワーズ・サガンの名作である。 19才で書いたそうだが、こんなに素敵な小説を一気に書けるなんて信じられない本能と感性であるが、ご本人の弁によるとこの物語のような「悲しみ」の経験は無いそうであるので、さらに不思議に思える。 偉大な芸術というものはやはり、選ばれた人に天恵の様にもたらされるのかも知れない。 書き出しを少し書いてみよう。 『ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのをわたしはためらう。その感情はあまりにも完全、あまりにもエゴイスティックで恥じたくなるほどだが、悲しみというのはわたしには敬うべきものに思われるから悲しみ―それを私は身にしみて感じたことがなかった。 ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は何かが絹のようになめらかにまとわりつくようにわたしを覆う。そうしてわたしを人々から引き離す。』 河野万里子訳-新潮文庫‐ この物語は筆者自身の悲しみの実感を見事に描ききれていて、昔から愛読してたかと思われるほど心の波長が一致するのであるが、昨夜久々に挑戦し読んでみたものだ。 昨年の晩秋に深い悲しみの体験をしてから、自らの心の内のやるせない悲しみを誰かに打ち明けてみても、殆んど何かしらの本当の実感とは縁遠いものしか得られないので、自然に心の内面に沈潜し、沈黙するしかこの苦しみをやり過ごす方法が無かったのであるが、伊藤佐千夫の「野菊の墓」というのと、この「悲しみよこんにちわ」という短い小説がようやく心の苦しみを上手にときほどき、涙と共に癒やしてくれたような気がして、ここにそのことを書き記している。 愛と悲しみ 生と悲しみ 死と悲しみ 病と悲しみ 貧と悲しみ 日々の人間の生活には悲しみが常に「絹のようにまとわりついていて」人々はそれから逃れられないのだ・・・と近頃は一種のあきらめにも似た甘い確信を心の内に抱くようになった。 恐らく全く愛がなければ悲しみは生まれないと思えるが、愛のない人生など無味乾燥すぎて、語ることも感じることも意味づけすることもできない。 つまり無に等しい。 だから、人はいつも悲しみと共に生きなければならないのだ。 仏教では慈悲という表現をするが、慈しむと悲しむという風に愛を分割して文字にしているが、そのような考え方にもとづいているからであろうか。 その愛の深さは悲しみの深さと正の相関があるとするなら、愛念の深い人とは悲しみも深い筈だ。 マザー・テレサみたいな人はいつも悲しんでいたということになるが、あまりに悲しみ過ぎて涙も枯れ果てて厳しい表情になっているように見える。 話はそれるが、マザー・テレサの写真を見るとそれは深いシワも刻まれていてまぎれもなく老婆の顔であるけれども、少しも老醜というような モノは感じさせない何かがあるから不思議である。 心の反映としての表情筋の精緻な造作が本来は美しない筈の老醜の表情を微妙に、或る種神々しい「美」に変えているのかも知れない。 筆者の思い込みであろうか。 「悲しみよこんにちわ」は映画化もされて、伝説的な傑作小説になっているが、人間の悲しみとか愛とかエゴとかそういう男女のヤヤコシクテフクザツな心の動きを美しい文章で表現してあって、現代文学の中でもやはり名作なのではないかと思えるが、これは作者のフランソワーズ・サガンの感性と筆者のそれがタマタマフィットしただけであって、他の人々には殆んど何の感興も呼び覚ますこともできないかも知れない。 というのは、筆者自身ですらもっと若い時にこの小説を読み始めたがすぐに投げだしてしまい、読みとおすことも感動することもできなかったくらいであるから・・・。 「野菊の墓」という小説もそうである。 55才にしてはじめてそれらの本に共感できたというのは、悲しみについての自らの感性の鈍さの証とも言えるし、未熟だったとも言えるし、愚かだったとも言えるし、奥手だった、つまり遅発的だったとも言えるかも知れない。 これらの本でオイオイと泣いてしまう恥ずかしい初老の男を想像すると読者の皆さんはキモチワルイと思われるかも知れない。 スミマセン。 ありがとうございました 濱田朋久 |