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■ 大栄養失調時代 | 2009. 7.26 |
毎日診療をしていると、近頃はトミに食生活のいい加減な人々が多くなったように感じる。 丁度、警察官の尋問調書を取るように、口説々々しく、イチイチ患者さんにその一日の食事の内容と量などを訊ねていくと、驚くべき悪食が露わになってその述べた人の顔色やら体型やら肌ツヤやら話す言葉など総合評価すると、成程ヒョットしたらすべての症状と病気の原因にその人の食生活があったのではないかと断言して良いのではないかと思えることが多々ある。 「カラダガダルイ」とか「ヤル気がしない」とか「カラダガオモイ」とか、所謂全身倦怠感というヤツは、心や体の病気というよりも夏バテとか暑気当たりとか脱水症状とか低血糖とかを含め、人間に必要なエネルギー源の第1にある食べ物という問題が最も重要原因なのではないかと思える。 このような訴えがあると、当方は医療機関であるから大概点滴とか、クスリとかの処方するワケであるが、昔はブドウ糖とかビタミン剤の注射とかが保険でもドンドン適応できたので良かったが、この「栄養源豊かな飽食の時代」である筈の現代の日本でよもや栄養失調などあるまいと考えられて、病院からビタミン剤や栄養剤なるものの処方が消えて、その中心がどちらかというと過多栄養と勘違いされている過多脂肪、過多エネルギー、過多カロリーと混同されて、逆にそれらとまた異なる次元の栄養失調という現象が浮かび上がってくる。 多くの人々の食生活についてのさまざまの情報過多か、あるいは情報の混乱と貧困とマスコミの商業主義的意図に基づいた「売らんかな」の姿勢に踊らされた多くの人々のマチガッタ思い込みが根底にあるのではないかと思える。 最近のサプリメントのブームはこれに乗じたもので決して誉められた社会現象ではないと思える。 それが証拠に、我が入院施設を持つ2つの医療機関では概ね9割の患者さんがとりあえず出されるキチンとした朝昼晩の食事の提供と、心身の安静の為のやすらかなベッドによって自然に快癒していく姿が見られるということがある。 決して薬物とか暖かい、優しいナースの手かけ声掛けや、モチロン医者の治療などではないもので、どんどん症状がとれていく姿を目の当たりにすると、この治療過程の中での栄養補給という側面がかなりあるのではないかと近頃つくづく感じる。 これは自分の肉体と精神の調子にも明瞭に実感できることで、毎日の食事の内容の変動による。 心身の気分の変調というものが実に見事に連動していることを確認して、ますます食物とかサプリメントとか水分補給とかをややウルサイくらい綿密に選択し、量と時間を計測しながら本来の欲求も上手に感覚しながら食物栄養摂取を心がけていると、かなりのハードワークでも何とか乗り切れるということに少しずつ気づいてきて、このことを書き記している次第である。 昔の占いの大家が「万にひとつのあやまりなし」と言い切っている開運法の最大にして唯一のものが「食事の問題」であることを考え合わせると、この栄養摂取の方法というものがいかに健康で幸福で豊かな人生にとって大切であるか理解できそうなものであるが、今や何と多くの人々のこのこと(栄養学)についてのいい加減な姿勢であることヨ。 最近では親しく接していただいた先輩の「内科」のドクターが糖尿病で入院したり、これまた肥満とダイエットの失敗で脳出血で倒れた先輩の開業医(これまた内科医)と「医者の不養生」の身近の例の列挙にはいとまがない。 或る意味情けないことであるが、内科の医者であっても栄養失調を起こすくらいに世間全体に、所謂「食の乱れ」というものが深く静かに浸透しているのではないかと、内心深く危惧しているところである。 今さら啓蒙活動でもないけれど、世界の内科医会の会長で筆者の恩師である循環器内科の人格高尚で博学の教授の心筋梗塞による死とか、これまた高脂血症で高名な内科医の大家の早逝とかもまちがった栄養学とか知識とかの証拠と言えるのではないかと思える。 医学を総合人間学のひとつと捉えるにはストレス免疫学とか、人間関係学とか心理学とか栄養学とか社会学とか気候風土学とか地理学とか、やや公衆衛生学的とも敢えて勝手に呼称している「学問」も知識の習得が必須と思えるし、とりわけ最も人間生活の基礎となる栄養学について医者が最も修めておくべき学問ではないかと思える。 近々の現在の医学教育の内容について不詳であるが、筆者の大学の頃の医学教育というものは、主に「病気」を扱ったもので「健康」を扱ったものではない。 病理学とか病因論とかでもない、今思えば単なる「病気学」だったのではないかと思えることがあるが、言い過ぎであろうか? 御年46才にして現役の野球選手である工藤公康選手の本が出ていたが、これは食生活の大転換後による若い現役時代の大活躍が具体的に語られていたが、その内容というのをザッと説明すると肉食をやめて魚食にして、新鮮な野菜を多く食べるという簡素なものである。 これで選手生命の延長だけでなく、数々の栄光の一大要因を類推すると、日々の食べ物についてはあだやおろそかに、いい加減に処するべきではないと最近あらためてここに書き述べておいたところである。 「好きなものを好きなように食べて、長生きして元気でいられる」というようなノーテンキな本も時々出ているが、筆者の見たところそういうことは殆んどないと思える。 ただし、あまり禁欲的なものもヨロシクない。 また「バランスの取れた食事」をしているという思い込みも捨てた方が良い。 毎日毎日、真剣に自らの食事の内容と量と質については検討し選択したいものである。 この一見栄養過剰に見える大栄養失調時代を生き抜くには、薬物やサプリメントへの知識と同時に深い洞察と偏見を捨て去った素直で真摯な観察眼と偉大なる過去の人々の知恵というものが健康な生活の絶対的な要件であると確信している。 ありがとうございました 濱田朋久 |