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■ 純粋最新流行批判 | 2009. 7.24 |
最近特に思うのであるが、街を往来する女性のファッションが自分の感性では少し奇異に感じるので、ここに書いておきたい。 まずワンピースかネグリジェもどきか不明であるけれど、乳房のあたりに膨らみを持たせてはあるが、その下は丁度子供の幼稚園か保育園児の上っ張りのような、エプロンのようなものを膝上から太股のあたりまでダラーッと垂らして、その下に昔でいう股引き(ももひき)の短いものを履いていて(それはレギンスというらしいが・・・)、筆者からすると誠に不格好に見える。 足の細い人はさらに細く、膝関節のゴツゴツした感じが強調され、足の太目のひとはそれ程見た目は感じないが、なんだか短足に見える。 そして、悲しいことに女性らしいウエストからヒップにかけての、あの美しくもなまめかしい曲線がスッポリと隠されてしまい、まるでマタニティドレスのようであり、それなりに「コケットリー」という色気は多少あるものの、純粋な性的感興をはなはだしく削いでしまうファッションに見えるのであるが、世の男性諸氏はいかがな感想をお持ちであろうか? このようなファッションであればウエストのくびれた女性であろうと、所謂ズンドーの女性であろうと殆んどパッと見には判別できないから、スタイルが良いとか悪いとかが少し誤魔化されるので女性にとっては結構便利な衣装なのかも知れない。 このようなファッションの女性が、あの茶色の有名ブランドのバッグなどを持ってあらわれると、どんなにお顔が美しくてもいっぺんに性的な興味が霧散してしまうので、或る意味精神衛生上の健康というものには好影響的なのかも知れない。 誰が考え出したファッションなのであろうか。 丁度、1900年代初めのココ・シャネルのファッション革命と同じように第2の女性ファッションの大革命が今勃興しているのかも知れない。 つまり、女性のファッションにおける「性徴」の否定と幼児化、中性化という方向性への大転換なのかも知れないとも考えられる。 少なくとも殆んどの流行の衣類というものが、成熟した大人の女性のソレではなくなって来たように思える。 街中で見かける最も女性らしいファッションというと、それは大概事務服とかの制服であり、これは筆者の友人の意見も同様であって、金融機関とかバスガイドさんとかスチュワーデス(今はキャビンアテンダントと言うらしい)とかが最高の衣装であって、今でもやはり人気があるらしい。 時々テレビを見ると、そのような美意識とか美的センスを無視した色とりどりの一見個性的に見えて実は遠目に見れば全くの同質の「流行」というものに、それこそ「流された」衣装をまとって出演されておられるので、見ていて全く憧れとか羨望とかの感興の湧き起こらない雑獏なデザインであるのでとても驚いてしまう。 この世界における「美の追求」というのは終わってしまったのであろうか? それとも自分の感性の流行遅れなのであろうか。 恐らく後者であろうと思えるが、その根拠と言えばチョンマゲから七三分け、カミシモからスーツとかへの時代のモードの変遷に思いを致すと何となく確信できる。 最近は映画でもテレビでも殆んど真似をしたくなるような素敵なファッションには出逢わないが、ヨーロッパの映画、特にイギリスとかドイツのそれには少しく惹きつけられるものがある。 それでも最近の映画から最も興味が魅かれたファッションをいくつか拾ってみると、日本の映画雑誌におけるにおける人気No.1連続記録で、アラン・ドロンを破ったジョニー・デップのパイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウ船長のそれであり、ワールド・オブ・ライズで見せた有能なCIAのスパイ役を演じたレオナルド・ディカプリオのジャージ姿と、マイアミ・バイスに出ていたコリン・ファレルのジョルジオ・アルマーニのスーツ姿である。 これらの人々のカッコヨサは一見の価値があると思える。 一方、女性の場合にはチョット思いつかないが、少なくとも今の日本人の流行のファッションよりははるかに好もしく、美しく、女性的な曲線を強調するスッキリとしたラインのワンピースを着ていたドリュー・バリモアのファッションはナカナカ官能的で良かった。 女性の場合には逆にトップスターの方が何となくダサイファッションに見える。 少なくとも興味の湧く女優さんは中身もファッションも今のところ殆んど思いつかない。 件のドリュー・バリモアでさえ筆者の好みというワケでもない。 海外旅行に行くと、カッコイイ女性はやはり白人に多いが、それはスッキリと洗練されたTシャツにジーンズとかのシンプルなものが多いからである。 日本人の女性の場合、ゴテゴテと飾り立てていて、まるでチンドン屋のようであるがこの傾向は最近はアメリカを中心に世界中同じ傾向にあるようである。 ありがとうございます 濱田朋久 |