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■ 恋と交通事故 | 2009. 7.20 |
6月がさっと終わり、夏真盛りの7月になった。 性的エネルギーの最も高まるのは恐らく6月ではないだろうか。 出逢いの季節、恋の季節、結婚の季節だ。 June Bride♡ 「出逢いが無い」「相手が無い」という返事がそれこそそのような御縁のない人々の常套句だ。 「恋愛の出逢いというのは交通事故みたいなものですヨ」というのが、これまた筆者の常套返事だ。 恋が交通事故とすれば、人生や日常生活のまじめな「安全運転」こそ恋のチャンスをドンドン逃してしまうライフスタイルということになる。 つまり規則どおりに決まり切った日常を送る人には恋のチャンスはおとずれにくいということである。 規則破り、ルール違反、迷走、暴走運転こそ恋の交通事故発生の誘因となる。 だいいち恋のことをアバンチュール(冒険)というではないか。 字面のとおり危険を冒すから冒険なのである。 「火遊び」とも言う。 さまざまな痛みや苦悩や後先考えない衝動的な徘徊めいた躁病的行動や活動のと結果として衝撃的な恋のはじまり、男女の衝突こそ恋の誕生の誘導法としてふさわしいものと思える。 それでもいつも準備をしておかないとイケナイからできるだけ普段から身ギレイにしておいて、相手(異性)の興味や関心、好印象好感を得なければならず、常に明るく屈託のない笑顔とか、さり気ない優しさとか上品なエロスとか、爽やかな清潔感みたいなものは出来れば身につけておきたいし、また一種の謎めいた妖しい魅力みたいなものも上手に醸し出せれば申し分がない。 そのような準備状態、臨戦態勢に自らを仕立てておいて、恋の衝突の為の日常生活の冒険的な暴走や迷走や軽いルール違反を適当にしていると自然と「誰か」に衝突するので、それを大いなるチャンスにしてその出逢いをモノにして成就させる・・・というのが筆者の提示する恋少なき男女への助言とアイデアである。 時には手の込んだ罠を用いたり、ワザと計画的に衝突させても良いと思える。 松任谷由美の歌で「まちぶせ」というのがあるが、素知らぬ顔で目的の異性に偶然を装って出逢いを演出するという意味の歌詞があるが、それこそ恋の手練手管(てれんてくだ)の最も古典的手法であるけれども、これくらいの努力は若者なら是非とも挑戦して欲しいものだ。 とにかく実際のクルマの運転とちがって恋を求めるならば、安全運転から暴走運転、迷走運転などの危険で冒険的な運転、変化とバラエティーに富んだ生活パターンをいくつか持っておいた方が良いし、いくらか気まぐれで思いつき的で衝動的な行動も何らかの「波乱」や「きっかけ」づくりには面白いかも知れない。 ただし、念の為に言い添えておくならば恋というものには必ず愛の喜びや快楽ばかりではなく、苦悩や悲嘆や悲しみや傷心がつきものであるし、また時には忍耐力や根気やはたまたクールで打算的な駆け引きなども必要であることはつけ加えておきたい。 そしてまた心の安らぎとか平穏で退屈な人生生活を失ってしまうという小さくないリスクを負うという覚悟というものも心の中に持っておかなければ、少なからず見苦しい醜態を晒してしまうこともあるし、家族や友人、知人のみならず周囲や社会の非難の視線に耐えうる勇気というものも持ち併せる必要があるので、この点でも交通事故のそれと同じく大恋愛と大事故の共通の特徴とも言えるようである。 いずれにしても、 何もない人生か 恋多き人生か 最終的にはその個人の好みや生き方の問題であると思えるので少しの工夫、少しの勇気で楽しい(苦しい)恋というものも体験できるものではないだろうか。 ありがとうございました 濱田朋久 |