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■ 盗撮 | 2009. 7.19 |
今は撮影機材の発達で、かなりの悪条件でも結構鮮明な画像を簡単に手に入れることができるらしく、この手の犯罪が後を絶たない。 日本はそのような精密光学機器の水準では世界一であるそうな。 比較的安価で手に入る上に、今ではプリンター機器の発達で現像も不要であるから、水面下ではエスカレートする一方ではないかと想像している。 以前は公衆浴場の覗きとか望遠鏡で他人の家の裏窓を覗き見るという程度であったが、今は主に女性用のトイレとか更衣室とか、もっと直接的で穏健なところとしてはスカートの中というものがその盗撮対象の主なものであるようだ。 知人のドクターも、若い女性の生殖器を次々と画像に収めてコレクションし警察に逮捕されたが、近頃はどんな言い訳が通ったのか知らないが「無罪放免」ということになった。 どうも盗撮というのは、ただ覗くだけでは満足せず、それらを保存し収集し何度も鑑賞したいという欲求の結果であろうが、性行動の中でもフェティシズムの原形とも言えるかも知れない。 つまり、女性のその存在そのものの中の肉体の部分への性的興味の集中という意味で、それが女性の裸体であるとかスカートの中とか性器そのものとか、着衣の一部とか靴とかの身につけていたものとか髪とか顔とか乳房とか足とかお尻とか、或る意味無限に近くその性的信号、性的徴候のシンボル化されたものへの執着とかいうものであるけれど、これは殆んどの男性に程度の差こそあれまんべんなく存しているものではないだろうか。 ただそれらの「犯罪」に走る人はそれを我慢できなかったというだけでそのような犯罪行為をメディアで知り得た人々をしてあまり驚かせたりするものではなさそうであるが、テレビや新聞ではあたかも自分たちは決してそんなことはしませんヨというようなカタブツであるかのような態度でクールにそれらを語っているが、内心はどう思っているかどうかわからない。 そういう報道があって、それに多くの人々が興味を示すということはその多くの人々にとって、内面に同様の欲望や欲求を持っているという証にはなるということではないだろうか。 人はみんな好奇心を持っているので、誰でも「のぞきたい」のだ。 その欲望を満たしてくれるのが映画でありテレビであり、一般の大衆雑誌である。 アルフレッド・ヒッチコックの映画の「裏窓」という映画では、写真家の男(ジェームス・スチュアート)が足のケガをして、その無聊をかこつために裏窓から人々の、主に男女のやりとりやどちらかというと性的好奇心をそそられるような画像を望遠鏡で眺めているウチに或る犯罪の推理をするという展開なのであるけれども、多くの人々にとってそのようなのぞき趣味というものは誰にでもあり、映画人にとっては人々のそれらへの好奇心こそその職業の存在価値を確固たるものにしているのだ。 つまり、人々ののぞき趣味こそが映画というものの人気を支えているとも言えるのだ。 不思議なことに我ながら意外なことに筆者の場合、他人の生活への好奇心は殆んどない。 モチロン他の人々のSEXの方法や実態など全く見たくもないけれど、フェティシズム傾向が少しあり大学時代にアパートの階下にいた美人姉妹の干してあった下着が地面に落ちていたのを拾って保存所有していたことがあるので、筆者とてリッパな軽犯罪者である。 この時は物凄くドキドキしたものであるが、その布キレの所有の喜びというものは一瞬で消え去ってしまったけれど、自らのその妖しげな秘密めいた行為にはいたくコーフンしたものである。 のぞきではないが、街に出て人々が特に女性が歩いているのをしみじみと眺めるのは大好きである。 これはひょっとしたら軽犯罪的とも思えるが、当然なんの犯罪でもない。 街を歩いている人は当然人に見られるという覚悟をして歩いているのみで、見られることについて容赦している筈だからである。 ただジッと見つめるとなるとこれは犯罪ではないか少し常識に反するいささか不躾な行為である上に、相手に知られてた場合、礼を失するということになる。 筆者も高校一年の時に、中高一貫のミッション系男子校に通っていたので、どうしても女子高というところはいかなるところであろうという好奇心にあらがうことができず、文化祭の時一人でノコノコと出かけて行ったワケであるけれど、我ながらその勇気には感心する。 すべて思春期の激しい性欲の衝動のなせる行動であったけれど、個人的には大変な快感快楽をそこで得ることになった。 当時その市内でもお嬢様高校で言われたその女子校の或る催しの部屋に入って、前の方で何かのアトラクションをしていたのであるけれど、人がギューギューに鮨詰めで詰め込まれ、後ろの方で控え目に立って前をのぞいていたところ、何かの拍子に前の方から将棋倒しに女の子達が後ろに倒れ込んで来て筆者のカラダの上に制服を着た女子高の生徒達が次々とおおいかぶさって来て、しばらく「女の子まみれ」の状態であったけれどもその時の、男とは違うあま〜い匂いと女性のカラダの柔かく謎めいた肉体の感触を全身の感覚を総動員して味わうことができて、中高一貫した極めて殺風景で無味乾燥の少年時代の唯一の実際の女性から受けた性的快楽を味あわせてもらった。 今でもこれは一生の思い出で、心に残る素晴らしい事件となったし、未来に夢を抱かせるものであった。 やはりこういうことを考えると中学高校というのは男女共学よりお互いの好奇心を高めるという意味では、男子校・女子校の分別の方が長い目で見ると好もしいのではないかと思える。 のぞきへの欲求というのは実はそれそのものはきわめて健全であると思えるのであるが、それを我慢させるということについては厳格に男の美意識として教え込まれなければならないと思う。 ありがとうございました 濱田朋久 |