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■ 雨の日はスポーツカーに乗って | 2009. 7. 5 |
路面上の状態が予測不能な雨の時は、バイクのライディングには不向きだ。 実はそれなりに工夫すれば、オートバイも面白いのであるが、何しろ準備が面倒くさい。 雨の日はやっぱり車だ。 それもコンパクトで足回りのしっかりした狭苦しい、室内は小型の飛行機のコクピットを思わせて男の遊び心をくすぐる。雨水をさばいてくれるフロントガラスのワイパーの動きも小気味良く目にも耳にも心地よい子守唄のように五感に染み渡る甘いサウンドだ。オートバイのように、オイルやガソリンの匂いはしないけれど、高級サルーンのような甘ったるさのない、どちらかと言うと、無機質で殺風景なアッサリとした国産スポーツカーの室内は、いかにも男の冒険心をそそられて、そのメカニカルなエンジン音がたまらなく、 脳ずいを痺れさせてくれる。 土曜日の午後に長めの昼寝のあと、夕暮れの街路にやや色あせてしまった赤い塗装のスポーツカーを滑り込ませた。久々のエンジンの始動に愛車も嬉しそうだ。全身の力を抜いて、手袋をはめ、深々と体を決めて、いかにもスポーツカーらしい小さめのハンドルを握るともうそこは、冒険心マンマンの「少年」の宇宙船だ。遊園地で初めて乗った子供用の自動車を思い出す。 スポーツカーは純粋に楽しませてくれる遊び道具の一つだ。 雨の中のドライブ・・・ それも薄ぐれの土曜日は危険なものだけれど。たっぷりとった睡眠と濃い目のインスタントコーヒーで心地よく覚醒しキビキビと他の車や自転車をかわしながら、街中を駆け抜けホンノ10分はしれば、曲がりくねった山間のワインディングロードやら、水田やらを走りぬくと、真っ直ぐな農面道路にでることが出来る。こんな時は、田舎住まいの有難さを思う。 キラキラとしたネオンや林立する高層ビルの窓の光が明減する大都会の夜の高速道路も良いけれど、雨天時の田舎道もまた、すばらしくロマンテッィクだ。 なにしろ、車が少ないので、瞬間的にアクセルを床底に踏みつけて、思い切りエンジンをレッドゾーンに入れ、高性能な荒々しい国産スポーツカーの加速を心おきなく楽しむことができるし、田んぼのかえるの声や虫の声も甘くノスタルジックだ。 時より、遠くの雷鳴とともに、車全身を水浸しにさせながら、雨中のたまり水を撥ねのけ、無目的に走らせていると、いつのまにか、どんどん暗くなって午後9時を回るころには、海にもたどり着けるくらいの距離を走ってしまっていた。 とりあえず、今夜は海だ。 一番懐かしい水平線につながる九州の南西海岸。 日本近海の海流のせいか最も暖かく、透明な美しい海の見渡せる海沿いの町にでた。 少年時代から青年時代、中年時代・・・そして、50代半ばの男になって、また少年のように楽しめるし、少年時代の思い出や悲しい思い出に連なる永遠の記憶が雨の中のワイパーに擦られているフロントガラスの先にありありと蘇る。 そうして、思い出の音楽とともに、それらも涙の中で曇りはじめ現実の今の生きる苦悔と悲しみの中に引き戻され、我に返り海岸の海に車の鼻先を向けてエンジンをきった。 音楽だけが、流れ続け、過去の数々の傷心と後悔と過ぎ去った甘い過去や苦い思い出の混じりあった奇妙なこの胸酔感の中で、死んでしまっても、後悔はないかも知れないとも思った。 雨天時はどうしようもない倦怠と憂鬱となんとなく重くなってしまう心を晴らそうと出発した。この雨の中のドライブもまるでわが半生であるなと思える。なんとなく思いつきで始まり行き当たりばったりで山や町を駆け抜け海という死にたどり着く。 どんなに途中に少しだけの栄光があれ、レーシングカーのようにぶっ飛ばそうと、初心者の女の子のようにコトコト走ろうが、海という目的地についてしまう。 疲れ果て、カフェインの効果もきれ全身シートをリクライニングさせて、背を伸ばす・・・ 相変わらず愛と孤独と混乱の中にあって、少しも悟りを得られずもがきながら生きている自分の心に思い至り夜明けまで、ここに車を泊めて、朝日に照らされた海の色を確かめてから帰ろう・・・ と決心した。 少しはまた再び生きる勇気が湧いてくるかもしれない・・・ と期待しながら・・・。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |