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■ 生涯婚活 | 2009. 6.17 |
就活(就職活動)にひっかけて、婚活(結婚活動)というものがあるらしい。 具体的にはどういう活動なのか不明であるし、別に調べたワケではないが、察するにせいぜい色々なカタチの合コンとか昔のお見合いみたいなものの「モドキ」の類ではないかと想像している。 筆者の婚活についての考え方を少し書き述べて、読者の方に少しでもお役に立てればと思い筆を手にしている。 今は若者の性的エネルギーの低下(実際に精子の減少とかあるらしい)か、人間関係能力の減落によって生じたであろう若い男女の異性との関係づくりについての全体的な意欲不足、能力不足というのがあって、単に結婚という形式を手に入れる技術についての自己学習ができていないのではないかと考えている。 何故そうなったかというと、まず少子化である。 そもそも昔のように兄弟が多くないので、家庭内での競争がない上に学校でも近頃では競争というものをさせない時期があった。 もともと私たちの存在からして、元になる精子の卵子への突入合戦という激しい競争に勝ち得た生存競争そのものの賜物なのだ。 その競争が出生した途端に終わってしまうとは思えない。 余談であるが、日本は数え年というのがあって、出生した後からではなく受精してからを計算に入れて実年令(出生年)に1年(実は10ヶ月)プラスした年令を称していたが、生命出現の理屈としては真実味のある考え方であると思う。 その授精ですら、その精子の発射された時か、造られた時期かは不明であるので、科学的には父親の自分自身の元になる精子の生じた日というのがある筈であるが、こういうことまで考えると逆にますます何もかもが曖昧模糊(あいまいもこ)としてくる。 横峰式教育法というのが幼児へのそれとしてあって、結構理にかなっているのであるが、そのひとつとして子供達に「競争させろ」というのがある。 先述したように「競争」というものは生命の存在の本質であるらしい。 子供達は競争とか成長とか学習とか、その結果を認めて欲しいという本能を刺激されて、はじめて逞しく、楽しく生きていくものであるらしい。 これは大人にも言えることではないだろうか。 話を戻すが「婚活」というものも、言うならば実のところ競争なのだ。 何を競うかというとやはり相手を獲得する為の競い合いであって、男女で少し差はあるものの、こと結婚となると20才前後に起こるものとしての「エロスの衝動」というものが結婚の動機としては、一番ではないかと思える。 婚活などという言葉が出てくるのは、もうエロスのエネルギーを少し減じてしまって、そこに「生活の安定」とか「子供を育てたい」とか「寂しいから」とかの、少し生命の自然な活動としてみれば、、やや不純に見える動機、つまり異性と純粋に愛と性のエネルギーで結び合いたいという欲求ではなく、ただ自らの或る意味低レベルの欲求(生きるとか楽しむとか安定する)を満たすために結婚を求めるように思える。 種族保存の法則という考え方があるが、確かに種を残す為に結婚という形式は一見便利にみえるが、これは人間のつくり上げた社会の維持の為の倫理や道徳という謂わば「洗脳」によって生じた男女のひとつの形式に過ぎないし、かならずしも男女の純粋な愛に基づいた結びつきについての完璧な「形式」とは言えない。 ちなみに「婚活」の、それこそ第1の「活動」は、自らの魅力を高めることである。 それも女性の場合はやはりエロス、つまり自らの性的魅力を高めることが一番であって、色々な合コンなどに顔を出すのは二の次、三の次であると思える。 これは純粋な自説ではなく、人間研究の書物から引用した理屈であるので、念のため・・・。 性的魅力が高く、明るく素直な女性が男性から放っておかれるワケはない。そいうわけで「美人」であるとか人柄が良いとかの特質も性的魅力に直結するわけではないので、さらに、どんな人にも「好み」というものがあるのでこと「婚活」ついてはすべての人に希望を与える「理屈」と思える。 相対的に性的魅力を高める方法もある。 それは職業的には自衛隊や軍隊が一番良いらしい。 また、アフリカを筆頭に海外にいるというのも良いと聞く。 意外にも日本人の女性が少なく男性が多い職場では女性は人気が高いらしい。 自分自身の性的魅力を高めておいて、選択肢を拡げて(言い寄る男性を増やして)おいて、厳(おごそ)かに誰か一人を選択して自らを捧げれば良い。 この場合くれぐれも相手の男性を失望させないように自分の性的な魅力、相性などをよ〜く客観的に値踏みしておかなければ相手の男性がガッカリしてしまうケースが時々あるからである。 男女共に根拠の無い自惚れは禁物である。 男性の場合、ハンサムであるとかの性的魅力よりもやはり全体としてのバイタリティー、つまり生命力、生活力が一生の魅力となるようだ。 そうして大切なことを最後に述べたいが、それは自分の品格という問題である。 自分の品格のレベルに合った人しか自分に寄ってこないし、また趣味や嗜好(しこう)のマッチングも結構大事である。 特に法曹界、たとえば弁護士さんなどは女性弁護士の場合、多くの男性はそれこそひいてしまい、弁護士同士の結婚という結果が多いらしいが、このような傾向は品性や品格というものにはもっと当てはまるようだ。 結婚して長い男女の場合、これがズレてくると離婚という不幸な結末に至ることも少なくない。 子供に限らず、人間というものは常に競争し成長しなければならないもののようである。 これは魅力的な配偶者を持ってしまった、幸か不幸か分からない人にも言えることであるし、職業的なものもあるし、昨日や過去の自分自身との競争というものもある。 これが一番人生には大切ではないかと思えるが、自分が成長しているかというか、これからも成長しているかというかという人生全体における大問題こそ本当の婚活であると思える。 いくつになっても性欲というものが存在しているワケであるが、今の婚活などという小手先の技術やテクニックや段取りなど実はどうにも良いのだ。 生涯婚活。 結婚にしていても婚活。 つまり、自分の今の配偶者に対して本当に魅力があるかどうか・・・問いつづけ、また答えつづけなければならないのではないだろうか。最も信頼すべき頼るべき配偶者ですら、捨てられるかも知れないし、死なれるかも知れないし、そもそも人生などというものは、どうなるかわからないのだ。 トホホ・・・。 大変だぁ〜。 ありがとうございました 濱田朋久 |