コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ インフルエンザ2009. 6. 8

インフルエンザ騒動が世界中で起こっている。これに先立ち1年前頃から、いくつかのパニックムービーや新型ウイルスの発生と蔓延をほのめかす書物や雑誌も出版されたりしており、やはり何かしら人為的なものを背景に感じる。
いくつかの理由づけがあるのかもしれないが、そもそも「新型の病原体」などというものがそうそう簡単に自然界に出現するものなのであろうか。

新しく発見されたというものならイザし知らず、SF映画、パニック映画の見すぎで洗脳されて、それらの現実の現象に対して人々は何の違和感も持たなくなっているように思える。また、インフルエンザであるから良いが、例えば、エイズやエボラ出血熱などの致死率が結構高いものが流行し、その病原体の感染の容易さなど加味されたならば、多くの人々は、パニックどころか狂乱状態となり、恐怖のドン底へ一気に落とされるであろうと予測される。

インフルエンザというのは、その名のとおり、大流行するカゼである。
第1次世界大戦の最中に、米軍の兵舎から始まった「スペインカゼ」と呼称されたインフルエンザの死者は大戦での戦死者よりも上まわったそうである。
昔の人口ピラミッドにもこの痕跡がありありと刻まれており世界大戦の目もりと同じように世界的な人口減少が生じた証拠となっている。
インフルエンザの恐ろしさを示す事実である。

昔は我が国でも、インフルエンザの予防接種は学校で殆んど義務的に行われてきたが、今は任意化になっている。なぜなら、それほどの大流行や致死性がないからという意味らしい。
今さら、鳥だ豚だのインフルエンザで中国人やメキシコ人などの有色人種のみ死者が発生し、日本人もとりあえず、明瞭な有色人種であるので、今回、日本への「上陸」も幾人か死者が発生するのであろうか。

現在、カミガタの方ではマスクをしている人々が街をうめて、歩いているようだが、筆者は医者であるけれども、旧型のインフルエンザ流行時にも、マスクもつけずに、予防接種も打たず、手洗いのみであったが感染はしなかった。無論、無闇に恐れたこともない。
病原体というものは感染者に接触したり侵入したりして病気を発症させるワケであるが、医学的には「宿主」、つまり、感染される側の状態も重要な発症要因であることを忘れているようである。またこの地球上で生活している以上「自分だけ」生き残ることは不可能なので、何となく「世間並み」という風に対処している。

伝染病の病気を含めて、あらゆる疾病は、感染経路への配慮、つまり「マスク」などより、宿主側への配慮、即ち日頃の健康管理のほうが余程大切うではないだろうか。少々の感染源をやっつけてしまう位の免疫力や抵抗力を維持していく事が効果的である気がする。
桜の木は台風で倒木する。
柳の木は平気だ。
マスクをするというのは桜の木の周囲に防風柵を設置するような感覚で見ていて、悪いが少し滑稽である。

柳の木につけるほうが賢明に見える。倒木しないこと。つまり発症しないこと。柳のように柔弱に見えてしぶとく強かな生命力を持つ存在が良いのである。

黄熱病の研究中に現地でその病原体に斃れた野口英世の例もあるが、確かに新しい未知のウイルス(病原体)には殆どの人が恐怖を覚えるであろう。

しかし、どんな深刻な病気であれ、治る人は治り、治らない人は治らない。そのようなヒトで知るということも、もっと啓豪してのよいのではないかと思える。

学校や銀行など、公共機関の閉鎖や外出の自粛というものが社会全体に与える影響を思うと、どうも病気の重症度と合致しないので、個人的には行政府や自治体などの反応はかなり大仰すぎるような気がする。モチロン、何事も用心深くしているというところに異論はないけれど・・・。

この一連の事件が発生する前に感染列島というパニックムービーが邦画でも公開されており、ますます意図的なものを感じて、その方が余程不気味である。

社会の混乱や戦争やテロなどの紛争や世界恐慌は普通の人々にとっては極めて好ましくない状態も、ごく一部の人々にとってはとてもうまみのあるビジネスチャンスなのではないかと思えるのだ・・・。
筆者のカングリ過ぎであろうか。

近頃、マスコミというものをあまり信じなくなり、明らかに偏った報道の仕方というものがNHKや日経新聞に多く見受けられる。この両者の不信用度はグレードV以上である。
つまり極めて不透明であるというのが個人的な見解だ。

クールに少し遠い視点で今回の騒動の流れを見ていきたい。

ありがとうございました。
濱田 朋久



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