コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 落第2009. 6. 6

今日は久しぶりの雨模様である。
梅雨入りまじかに感じさせる季節となった。真夏の蒸し暑い気候の始まりである。
2・3ヶ月前の、暖かく明るくのどかな3月・4月の百花繚乱の春の日を思いだす。そんな春の昔の思い出の中から情けない落第の経験があるので、このことを、今更だが、恥を忍んで書き綴ってみたい。

筆者の入学した大学は関東地方の学生数数万人を誇るマンモス大学で医学部は新設されてばかり。1期生として、何とか入学できたがワケであるが、講義の雰囲気といえば、まるで幼稚園か保育園の育児施設と思われるような騒がしく落ち着かない状態で専門の教授も教養の教授も一様に呆れて、中には教授に怒り、怒鳴りつけられて、教室の外へ退室を命じられた学生もいたが、この学生は学業不振が続き2年後には退学してしまった。

こんなにレベルが低いのかと少し残念に思ったのと、微かな
優越意識を併なった安心感も心に覚えて、試験を安んじていたところ、夏休みに父親へ教授の一人から、「あなたのところの息子さんは、成績がふるわず恐らく、留年されるであろうから学業に精を出すようにお伝えください。ちなみに成績は下から3番目であると・・・。」連絡があった。父親は、何故か笑っていた。
あの時、父親は、留年の心配をしていたのか、我がバカ息子を信じていたのか今となっては不明であるが、1年生の時は何とか持ち直して留年には至らず、とりあえず進級させてもらった。当時20人から30人は留年していたので下から30番以上には入っていたようだ。

その後は、頑張って学校に行き学業に励んだワケではないが、時々、追試験を受けながらも何とか留年は逃れていたので、我ながら驚く。

5年生に入ると、病院実習が始まり、学校を休めなくなってしまった。しかし、確か脳外科の実習の際だったと思うが、父親の訃報が届きすぐに郷里に帰り父の死に接したところ、一瞬、自暴自棄になり忌引きだと称し、一般外科の実習をさぼってしまい、教授会で、留年が決定してしまった。これを覆えすべく、教務担当の心優しい教授が「成績が上位10番いないなら、留年はさせない・・・」などと仄めかされ結構珍しく頑張って成績を達成したのであるが、最終的には、一般外科の実習履修不足ということで、留年が決定したのだ。考慮の余地はなかったのかと悔やんだが、今思えば忌引きだと称し、さぼった自分の責任だと思うなんとも情けない落第の思い出である。
しかし、どうにかこうにか卒業し、今では立派とは言えないが、毎日忙しい日々を送り医者として、日々奔走している。あの時、あの時代があったからこそと思える部分もたくさんあることも事実だ。
何しろ傲岸不遜そのものの、我が学生時代、学業成績や能力だけでは、人間として未熟きわまりない・・・通用しないと心から理解し、実習態度や礼儀作法などなど、生活全般についての標語をべたべたとアパートの自室に張りまくり懸命に努力をして、ある種の人間的成長を勝ち得たのではないかと考えている。

ありがたいことである。

ありがとうございました。
濱田 朋久



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