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■ 10才という人生の節目 | 2009. 6. 3 |
恐らく実話であろうと思うのだけれども、エニアグラムの日本の大家あり著名な教育者でもある鈴木秀子氏の話に、小学校5年生の時にたった1年だけ担任した先生の影響で家庭的な逆境を乗り越えて立派な人生を生きる少年の物語がでてくるが、確かに小学5年生とか小学6年生の担任の先生については、筆者ですら名前か相貌やら小さな体験などもありありと思い出すので相当に重要な年齢であるらしい。 教育改革を断行し、教師の待遇改善を進めたのが、昭和の今太閤と当時もてやされた田中角栄首相であるが、彼も小学校時代の先生の言葉で今日があるみたいなことを常々に口にしていたらしく、それが、列島改造論などと並んで議員立法で成立させた彼なりの教育者への恩返しであったように思える。 筆者の場合も人生における大事な「生き方」、つまり、人生というものへの態度、即ち「考え方」というもののパターンを10歳の頃に決断し、恐ろしいくらい忠実にそれを具現体現して来たようで、驚いてしまう。いくつか例をあげるなら、 @優越感と劣等感 足が速かったり、母親の激しい性格と不思議に女の子に人気があったので、体力と女性に対する根拠不明の自信と恐れ。学業とスポーツにおける劣等感。特に野球が不得意でレギュラーになれなかった・・・。これは、練習不足と自信過剰であると思う A家庭というのは恐らく不快なところである 父親が酒乱の気があり夫婦喧嘩もたえなかった。 B友人というものへの理由のない不信 特に裏切られたとか、いじめられたことはないが、話が全く合わない。これは、今は理由があって、生まれ年の関係で相性が悪かったことに起因している、違和感みたいなもの。 C自動車やオートバイに対する愛着 良く家出をして、自宅の自家用車で眠っていた。オートバイは就学前に父親の後ろに乗せられた記憶。 D読書への避難 これも小学校に上がる前に身につけた大人の雑誌を盗み読み、孤独を癒したというというのが始まりであろうと思える。 自分の体験だけでも、これだけしつこく中年期をとっくに過ぎてしまったにも関わらず生活態度全般に、やや暗い影を落としている。 これは事実のようである。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |