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■ 風のガーデン | 2009. 5.28 |
フジテレビ開局50周年記念番組と銘打った倉本聰原案のテレビドラマのタイトルである。 ナカナカ素敵な響きの題名で5月に書くコラムにピッタリであったので原題をそのまま拝借した。 新作のDVDをレンタルで続けてみたところ、日曜日の朝5時になっていた。結構面白かったということである。 色々と気づかされることもあり、身につまされることもありいくつかの感想やら雑感を少し書きつづってみたい。 物語は中井貴一扮する高名でとても優秀な麻酔科医。女性にモテ、カッコヨク女好きで、夫人に自殺され、実の父親に故郷の北海道富良野を追い出された40台半ばの一人暮らしの男が主人公である。自分自身も進行した膵臓癌におかされて終末期医療を体験させられるというある意味悲劇であるのであるが、そこは倉本大先生、ユーモラスに明るく描いてあって流石であった。 医療、特に尊厳死の問題や家族愛や不倫など、現代の東京大都会の日常と北海道の田舎の日常風景をからめ、美しい花々や音楽を背景に描かれた、或る意味、現代版ホームドラマである。 この倉本先生のドラマというとある昔日のメガヒット長寿ドラマであった「北の国から」があるが、これも中心のテーマは、親子の絆・家族愛であって、男女の愛はやや稀薄な内容である。 このドラマの出来も素晴らしいものであったがチョットちがうなぁと思う場面もあったりしてこれを書いている。 少し重苦しい話題で恐縮であるが、この主人公の父親役をあの先日亡くなった名優、緒方拳が演じていて、田舎で在宅訪問医療をしている。謂うならば、在宅ホスピス。終末期医療を在宅医療でみたいな・・・。仕事を家庭医としてやっていて、成程、スゴイなぁと思わせる場面ではあったけれど、このことについては一言あるので書いておきたい。 要するに末期の患者さんを家族みんなで尊厳的に家庭医と協力して看取りましょうヨ・・・。というワケである。 もっともな話である。麗しい話である。 このテーマは以前にも「大病人」という映画で、伊丹十三監督が扱っていたが、やはり同じような主旨の内容であった。 「家に帰って、家族に看取られながら死ぬ」 というのが、今のところ映画人、テレビ人の人々のお好みのようである。 20代から30年あまり医療の現場で家庭医として働いて来た筆者の経験からするとこのスタイルの尊厳死はとても人間らしく美しく見えるかも知れないが、実のところ、そういう時代はとっくに終わってしまったのではないか・・・。この10数年前に過ぎ去ったもはや懐古的なもので一般化したものでは既になくなったのではないか・・・ ということをお伝えしたいのである。 まず、家や在宅に重い病人や老者を世話をし、看取ってくれる人が居ない。息子は都会、娘は田舎なら分かるが、病者や高齢者を抱えた「在宅看護」「在宅介護」というものは、本人も家族も「家族らしき人々」にとっても一言で言うと悲惨というしかない。 子供が何人いようと妻やお嫁さんがいくら元気であろうと、積極的に年老いた病人を看ようなどという「家庭」など、日本全国どこにいっても殆ど無きに等しい。そのような家庭、家族というのは今や少数派なのである。 筆者の祖父も祖母も息子達が経済的に大成功したお陰で地元新聞の 長者番付の上位10位を独占するくらいのリッチな夫婦であったが死んだのは筆者の経営する介護施設や病院であった。 認知症の祖母、祖父は脳梗塞で、母は末期癌であったがやはり最後は介護施設であった。 誰も看る人がいなかったのである。断っておくが、息子や孫やお嫁さん等が冷たい非情な人々であることは決してない。 物凄く手間がかかる上に、本人にも「行き届かない」というのが実情なのである。 だからこのドラマのその部分は少し違うなぁというところで、緒方拳扮する町医者も筆者の父親の時代と筆者自身の30代前半でこのスタイルには殆んど完全に消滅してしまったように思える。 その上、家族愛も今や、それ程美しいものではなくなってしまった。 成人した40代の、女性にもてるバリバリの医者だった男が父親に看取られるのを選択するであろうか?息子・娘の介護を心地良く受け入れるだろうか?深考を要する問題である。 筆者が20代後半で開業したての頃は、毎日のように、「緒方拳」をしていた時代があった。年中無休で、深夜や早朝のそれこそ「尊厳死」にも立ち会えたが、何しろ若かったから良かったものの、40代や50代で、そんな仕事が続いたら、恐らく過労死してしまうであろう。所謂「看取り」医療というのはそれ程生易しいものではないのだ。要するに24時間オンコール状態、即ち「待機状態」で入浴して一杯やっている時に「呼ばれたり」するのは大変な苦痛を伴う。 ましてや緒方拳扮する70代の医者にはこの仕事は恐らく無理である。さらに、あんなにカッコヨクテ、女好きでモテル医者は、膵臓癌などにはならない筈である。絶対ではないけれど・・・。 忙しすぎてそんな暇はないし、健康の知識やその多忙さ由の自己管理によって、そのような、病気になる率というのはかなり低いと思える。しかしながら・・・ このドラマの主人公のように親切で優しくて、善良で人間的に立派な(女性関係以外は)医者は、生命の心配をしなくてはならないのは一理ある。相当、自分を押し殺している筈であるから、ストレス性の悪性な病気の良い温床であるばかりでなく、恐らく命を擦り減らして働いている様子がうかがえて、女性問題以外のこの主人公の人物像は同じ職業の人間として、誠に痛ましいものであるので、このドラマのリアリティーは結構高いものである。 研修医時代のハードワーク 開業医当初のハードワーク いずれも医者の仕事は結構大変である。 拘束時間、仕事の突発性、人命を扱うという責任の重大性。 「在宅尊厳死」「小児救急」この2つが開業医当初の2代苦労であった。しかし、研修医のハードワークは、実はそれ程でもなかった。若さとそのハードワークそのものの中に「人生の学び」の深奥が充満していたので毎日が本能的、無我夢中で何よりも純粋な医者としての使命感があったからだ。今もそれは鮮やかにあるけれども 「風のガーデン」の主人公や父親のように、それをヤレと言われれば、ヤルかもしれないが、まず、遺書を書いて身辺整理をしてからやらねばならないし、今はまだその覚悟がないので、ノーサンキューである。 けれども、明確明瞭にたのまれれば「仕方ないな〜」と言って引き受けてしまうかも知れない・・・。 チト怖い。 これらの筆者の「イチャモン」を考慮にいれても、このドラマの素晴らしい出来映えに何の文句のつけようもない・・・ ということは付け加えておきたい。 実のところ「懐かしい」と感じるドラマであった。 筆者の古き良き時代の懐旧的感傷的テレビドラマであった。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |