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■ ツーリング | 2009. 5.11 |
こんなに楽しく、苦しい趣味はない。そもそも趣味などというものは、苦しいことが含まれているのではないか・・・。 ここ1ヶ月ばかり、気候が良くなったせいでバイクのツーリングの計画が多くなった。だいたい早朝から準備して、集団でオートバイに乗って、400キロから600キロくらいを走るのであるが、集団だと楽という面と苦痛という面がある。楽だというのは、バイクは道路上で小さな狭い空間しか占有できないので、混合交通。つまり車やトラック、バスとか自転車や人が交じり合って道路での交通ではそのスピード以外に有利なものはなく、非常に弱く心細い存在である。それを集団で走ることで周囲にその弱い存在を堂々とアピールすることができ、また、周囲も何となく気押されるというか気を使ってくれる。それに、先頭につづくバイクは、先行車に誘導される形で走ることになり、特にカーブの多い見通しの悪い道だと、安全確認に神経を使わずに済む。 一方、苦痛なことと言えば、その団体行動にある。トイレとか休憩とか、個人の体調の良し悪しを考慮されずに、或る程度は集団のルールに従わざるを得ず我慢や忍耐を強いられる。これは当然であるが、筆者のように、ソロで走る(独りで走る)ことの多いバイク乗りとしては結構、辛いものだ。 今頃は特に、きれいな草原や海辺にたどり着いたときには思い切り背を伸ばして寝そべったり、美しい景色を眺める為にバイクを止めることも許されず、ひたすらにハンドルを握って、時には背中や腰の痛みに耐えながら走り続けなければならない。 しかし、ツーリングには、この苦痛そのものも楽しみとなる。団体競技のようなもので手の合図とか、仕草でコミニュケーションをとらねばならず、それもまた楽しみのひとつでもある上に、長い行程であればあるほどその痛苦や困難を共に走り抜いた同志のような心の繁りを感じることもできるのだ。 それにオートバイの場合、ソロだと、長距離のツーリングは、体力・気力ともに、結構難儀であるので、「やめとこか」 という気分になってせいぜい200キロか100キロの距離になってしまい、あまり冒険的ではなくなるし、思う存分オートバイを共に過ごしたという感じにはならない。 それに乗り終えた後、仲間と酒を酌み交わしながらのバイク談義もかなり楽しいものである。 今は中年熟年ライダーばかりが目立つが、若者の「カッ飛び」バイカー達も時々、混じっているとそのぶっ飛ばしぶりが何となく美しくもあり心配でもあるが何らかのエネルギーをもらえる。 筆者の所属するツーリング仲間のカリスマ的存在のライダーはスキンヘッドのオヤジであるけれども、そのイデタチから、仕事、タバコの吸い方、モチロン、バイクの乗り方まで周囲の仲間達を惹きつけてやまない魅力があるのだけれどもそれはひとつには、その「身軽さ」ではないかと思う。 持ち物が極端に少なく、その上、夏も冬も薄着そのものだ。 彼は、筆者の高校の2年後輩にあたる人物であるけれども、色々と細かいことを尋ねると、とても解りやすく短い返事が返ってくるのでこれも気持ちよい。たとえば・・・ 或る冬の一月のツーリングの時に筆者が朝の出発時の寒さや、日中の暖かさで衣服を脱いだり着たり、荷物を多く抱えたりして、あたふたしているのに、その男は悠々と殆ど手ぶらで身支度も簡素なので、バイクのそばでかっこよくくつろいでいる。 「そんな風で大丈夫なの?」 「どうしてこの寒さに対処しているのか?」と尋ねたところ・・・ 一言「ガマン」だと・・・。 しびれましたねぇ・・・。アタシも・・・。 まさにおやじライダーの鑑。 何で、この男がカリスマライダーなのか判明しましたネ。 もうかれこれ、30年近くバイク乗りをしているこのスキンヘッドの後輩も、辺幅を飾らず一筋の道を歩く、求道者の一人であったのだ・・・。 カッコイイ・・・。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |