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■ 春のチン事 | 2009. 5.11 |
私達は、毎日「大変だ、大変だ」と騒ぎたてる「世の中」を生きている。多くの人は騒ぎ立てる主な張本人である、大衆操作的メディア(主に新聞・雑誌・テレビ・インターネット)で物事の軽重は測定させられているように見える。後ろからこっそりスリのように巧妙に。そして一歩外から見れば、全くの稚拙さでもって・・・。 草g某という俳優タレントが、酒を飲んで裸になったそうだが、それが、何で新聞の一面にのる大ニュースなのであろうか? 「恥ずかしい」だそうだ。あまりにも当り前すぎて、さらに日常的過ぎてこんなことで大騒ぎすることが自分の心では、大騒ぎするくらい「春の珍事」だ。つまり問題の事件(タレントの全裸)よりも、事件に対するメディアの反応の方が異常だと思ったのだ。 この「事件」出来事から思い出したのは、昔、日本のバブル時代にゴッホの自画像を50億円で落札した、日本企業があって話題になったことだ。 50億円というのは恐らく多分に投機的な価値づけと思われるが、絵画や美術品などというものは、それを鑑賞している人の眼とか感性のほうがはるかに重要で、絵そのものは写真でも画帳でも、絵本でも、実際のゴッホさんでも、その審美眼の重要性を決して淩賀しない。 つまり、絵よりも目のほうが大事だということだ。もっと例えて言うなら、愛する恋人より恋人を愛せる自分の方が大事ということだ。 けれども、世間の対応とか反応というものは、まるで逆で、事件とか事故とかタレントとかの「対象」の方が大事で、自分達の反応については概して無頓着であるように見える。 物事については、いつも「それそのもの」よりも、自らの反応についてよく検討する方が、はるかに賢明に思えるので、筆者の場合、常にやや、冷ややかにアウトサイダーとして、物事を多面的にクールに捉えて、「自分の反応の仕方」の方を慎重に「選択」するよう努めている。 努めているというくらいで、いつも冷静沈着に反応していると言うワケではない。時には激昇するし、興奮するし、激しくののしったりもする。愚かな人間である。某タレントの裸など単なる軽犯罪にしかならないし、見たくない人は見なければ良いのだから、大した迷惑にもならず、有名人ということもあるだろうから写真に撮られたとしても、公序良浴を著しく乱し、社会に多大な悪影響を及ぼしたとも言えず、子供たちの範を垂れるような職業でも無いので、ただの元気で鬱屈した若者の子供じみた、稚気乱行とは、世間は見てくれず、「春の珍事」と笑いもせず、真面目くさって「大騒ぎ」をするという。どちらかというと大人気のない反応をしたというのだが、アウトサイダー的に見ると、余程、おかしいと思えるのだ。 草gさんというタレントについては少しも、カワイソウとか、恥ずかしいとか、面目ないとか情けないとか、世間にお詫びしますとかの、典型的な謝罪など、全く聞きたくないし、どこかに隠れてしまうか、堂々とせせら笑っていてもらった方がどのくらい気楽かワカラナイ。 つまり世間とかマスコミとかに対して要らぬ恐怖を抱かずに済むし、妙な社会の窮屈さを味わわずに済むという意味でである。 どちらにしても「マスコミの反応は私達の反応」であるという思い込みだけは持たないほうがよろしいのではないかと思う。 何故ならば、それは、自分の頭で考える自由を奪われたようなものでありそのヤリ玉に上がった人物をマスコミと同じようにカンタンに変人と決めつける浅薄な倫理観しか持たない狭量な人間と成り下がってしまうような気がするからだ。 春という字は「チン」と読むので春事と珍事をひっかけてあるのであるが、このタレントさんは春らしく、愉快でホノボノとした話題を筆者に提供してくれたという意味でますます好もしいタレントになってしまった。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |