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■ 春 | 2005. 4.13 |
敷島の大和ごころを人 問わば 朝日に匂う山桜花 国学者の本居宣長の歌。京都平安神宮の石板に彫りこんであったのを去年の春、桜満開のときに見つけて、嬉しかった。 当医療法人関連施設に勤務いただいている、ドクターはイギリスで肝臓移植を受けたときに、日本人のこころを問われたときにこの歌で答えられた。奇妙な偶然。さらにその京都訪問では、今の自分に多大な影響を与えていただいた大阪の社長さんにおあいしたり、長く無沙汰をしている同年の旧友にも会ったりして、偶然というものの、恐ろしさを知ったものでした。いやはや。 誰も訪れないような、山間でも、静かに美しく咲き誇っている山桜。 その孤高さ、可憐さ、静けさ、美しさ。 平安神宮の絢爛たる桜。おびただしい観光客に愛でられる桜も桜。アメリカはワシントンのポトマック川のほとりに咲く桜も同じ桜。 ただ日本人の心や、伝統的な大和心を象徴しているのは、ひっそりとしかし力強く孤高に咲く山桜なのでしょうか。 武士道の象徴、国花としての桜は、今の日本人、花見に浮かれる日本人とはちと違って見えますね。 濱田朋久 拝 本居宣長の詠んだ桜も桜。 |