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■ 晩春に思う | 2009. 4.29 |
筆者の父親は10月28日が誕生日で、まぎれもなく秋生まれであるのに、「隆春」という名をもらっている。八人兄弟の次男である。父の両親にどんな意図があったのであろう。そういうワケで春という季節を思うと必ず父を想い、3月生まれであった母を思う。 今日この頃のうららかな陽気には薄い緑色の若葉が風に揺れて、サラサラときらめくサマは、新鮮な生命の息吹きを感じられて、いかにもみずみずしい。 一方では、風薫る春はうつ病の季節でもある。 最も自殺の多い月は10月であるそうであるが、3月とか4月もまた自殺が多いらしい。 皮肉な取り合わせで秋や春には、うつ病は増悪するらしい。 筆者の父親もその生い立ちからして、典型的なうつ病であったと思わせる、境遇と家庭環境であったが、その出生と名前にもそれが秘そやかに織り込められているようで、人生ドラマの不思議に思いを馳せてしまう。 何しろ、3才にも満たない年齢で突如として兄弟から引き離され、実父母の手から子供のいなかった、叔父夫婦に長男として養子に出されたワケであるから、やたらに出来の良い頭脳と体格と運動神経に恵まれていたことも、それを実の両親や周囲の愛を勝ち取る為の激しい努力による当然のカタチであろうし、青年期中年期の激しくも悲しい自己破壊的な飲酒行動はさしもの献身的な愛妻の努力や3人の子供にも止められようもなかったというワケで脳卒中の前兆に前年の12月に見舞われて快後し、ホット胸を撫でおろしたのも束の間、50歳の誕生日を迎える前の6月30日の朝に脳の中心部の出血によって急死してしまった。 通夜の晩は夜どおし激しい雨でもともと雨の好きであった、まるで父を弔うようであった。 春も秋も死の匂いがする。 愛の香りもする。 愛と死はよく似ている。 どちらも、エゴの減却された無我無私の境地で人間の激しい苦悩と苦おしい愛の喜びの終末に静かに待ち構える、やすらぎの世界だ。 「うつ病」という心の病には、ジャングルのように繁茂した、植物のような鬱蒼とした生命のエネルギーの増殖と、それに反比例するように湧き起こる死への衝撃が生じる相矛盾した生命の相剋を感じる。 つまり、生きようとして、逆に死を望んでしまうというような、心の分裂がうかがえる。 うつ病的な志向パターンを持っている人々もいるが、その成育歴に原因を持つ人々もまた少なくない。筆者の父親などその典型的な例だ。 実父との離別。 理由はどうあれ幼い子供にとってこれほどのショックな出来事はあるまい。両親の多忙や不仲、虐待や無視もこの病気の主因となり得るし、また幼ければ幼いほどそれは、発病しやすくなる。また、そのような背景のないごく普通の家族であっても子供のありのままの自己肯定感を阻害する家族環境もあったりして、結構複雑である。 春から夏に向かうこの時期、つまり4月中旬から5月初旬の、所謂「土用」 の時期の晩春にはこのような心の病気の原初的病態である「うつ病」というものの遠因とか主因とか背景とかが、運命にもつれた網糸のように、また人間の持つ遺伝子の配列に微妙に影を落とすかのように染り込まれている・・・という風に考えている。 ひとりひとりの人間の存在がまさしく奇跡であるとするなら(全く生命医学的に見ると奇跡であるのであろうけれど)このうつ病という心の状態もその存在の在り方に必要欠くべからざる重要な要素であるのかもしれない。 美しい新緑と、ついこないだまで咲き誇っていた満開の桜花の対比をしみじみと、思いめぐらせながら、愛と死は恐らく不可分であり、さらには最も近い生命や心の状態ではないかとツラツラと考えている。 うつ病もまた、この愛と死という人生の大命題のハザマに生じた微妙な心のズレを表現する永遠のメッセージかも知れない。決して、ただの現代病とかストレス病ではないのである・・・と思っている。 ありがとうございました。 濱田 朋久 |