コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 不景気について2009. 4.24

躁うつ病という病気があって、結構深刻な心の病気なのであるが、この躁病というのが誠に厄介である。
たった一回の躁病の発作で人生のツケを全生涯かけて支払わなければならないというような人もいて、お気の毒である。具体的には滅茶苦茶な買い物や大言壮語や誇大妄想に連なるさまざまの虚言やハッタリめいた言動で周囲を巻き込み特に家族の被害など時にははかり知れない程の莫大な財産の散逸ということもあるようである。

今この世界不況、不景気というのは、その逆の反躁状態に人々の気分がなっているという風に表現できるのではないだろうか。つまり「物を買いたくない」「お金を使いたくない」と人々が何となく、思ってしまっているという状態が不況・不景気の本態なのではないか?

だからみんなで軽い躁状態になれば良いと思うのであるが、みんなで一斉にヨーイドンで躁病になってしまった状態をバブルというワケであるからまことに人間の社会というのはヤヤコシイ・・・。

軽躁だったり軽うつだったりして景気の循環が生じるのではなくて住宅の建て替えや家族構成のサイクルとかエネルギーとか食料などの需給バランスとかであろうけれど究極的には人々のつくった社会であるから、その人間達の持っているムードに実際の経済状況というものが連動するとすれば、その心に対して操作的に働くテレビやインターネット、新聞や雑誌を中心としたマスメディアの存在というものが不気味なほど大きいであろうことが容易に推測される。

もっと言うならば、今の不況・不景気は何らかの目的の為に誰かが作り出した状態であると考えることができるワケである。

「なんでこうなるの」と素朴に考えた時にサブプライムとかリーマンショックか知らないけれども、金融危機に端を発した(?)と信じこませられている、今のこの現実の不景気の即ち人との販売意欲、消費意欲の停滞というものを一気に解決する方策として、要するにお金を使わせれば良い訳であるから、人々との時間の感覚を縮めるというアイデアはどうかと思うがいかがであろうか?

人々がもしかして、持っているのに、お金を使わないとすれば、恐らく将来の為、老後の為、子供の教育の為という様々な安心を得たいという不安感に基づいて行っている。
謂わば自己防衛であるのでそれをやめさせる為に人々の平均寿命は40歳ですヨとか50歳ですヨとか、せいぜい65歳ですヨ・・という風に人間の寿命を短く設定させるような情報操作を行えば人々はそれこそ、「宵越しの金は持たねぇ」と言うような江戸時代の江戸っ子のような良い気風の心情になり、やたらに気前が良くなったり後先考えずにお金を使ったりして人々は刹那的に衝動的、発作的にお金を使いまくりいっぺんに世の中の景気はよくなるのではないかと思える。
平均寿命が85歳とか80歳などいわれると年金や老後の為の貯蓄とかに心がシフトしてどうにも「今を楽しむ」と言う景気浮揚的な消費行動が生じないと考えられる・・・と思うのだ。

「生きているうちが花ヨ」
「墓場に金を持って行けない」
「子孫に美田を残さず」
とか昔から人々の口端に上がっていた言葉を思い起こしてもう1度自己の人生を振り返ってみて人生の生き方を大胆に考えるならば、逆に適正な消費が生じるのではないかと思えるが、いかがであろうか?しかし今までが躁状態(バブル)であったと考えれば今の不景気の方が正常であるのかもしれない。

アメリカ人のようにお金を持っていないのに、お金を使おうとする金銭感覚というものは今や通用しなくなったのではないか。しかしながら、貯金をしてから現金で買いましょうなどと言っていたならば今の経済などまわらなくなるのではないかとも思える。

要するに時間の感覚を経済の状態にもっと組み込んではどうかという筆者のアイデアであるが、そう考えると筆者のみたところ、昨今の経済状況判断にも優良企業の筆頭にユニクロがあがっているがチットモ優良とは思えない。暖かい薄い下着というのが同社の救世主的商品であった。かつての「フリース」のようにバカ売れしたそうで売り上げも今時10%上昇率というワケであるが時間的に見てそのような下着が売れ続けるワケでもなく他の同社の商品にいたっては全く問題にならないほど魅力に乏しいものである。

いっぽう、「あさひ」という自転車メーカーが最近のエコロジーブーム・節約ブーム・健康ブームに集まって業績が良いらしいが、これすらも各客に行きわたってしまったらこれまたいっぺんに業績が落ちてしまうのではないかと思える。

いずれにしても、世界も人生も空間(モノ)も大切で時間(目に見えないもの)も大事である。時間を第1優先と考えなくては経済動向はモチロン適正にしていくと思えるのであるが・・・。
いずれにしても、人生というものに個人としてみれば資源などは、はるかに有限性が高く生身なのである。

このことが少しづつ後退してきて健康ブームという流れもあるがこのブームですらどこかしら不死永遠を前提とするような、死滅とか老衰とかを考慮しないか、もしくはそれらに対して、少し間違った感覚を取り入れているように思える。
少々胡散臭いあやしげな商魂たましい人々の格好のエジキになるような健康グッツシステムが蔓延しているように思える。


ありがとうございました。


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