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■ 徳永英明 | 2009. 3.12 |
こんな風に個人の名前をコラムの表題にして良いものかどうか迷ったのであるが、意外にインパクトがあるのではないかというのと、最近ここ1〜2ヶ月は毎日この人の歌を聴いて癒されるし、知人・友人にこの人の「ボーカリスト」というシリーズ3枚の他の歌手のヒット曲をカバーしたアルバムを聴かせてみると、みんな何かしら心に響くらしく、彼の歌とメロディーと声とその魅力と背景に迫ってみたいと思い筆を執っている。 或る音楽雑誌でない雑誌の広告に、件の徳永英明氏の写真が載っていて何故か強烈に惹かれるものを感じたので、その表情やら姿勢やら服装やらをしみじみと観察してみると、ナカナカ面白い発見をした。 まずそのイデタチであるが、白いオフホワイトのスーツに同色系統のネクタイであったのであるが、表情に笑顔はなく、暗くも明るくもない透明な、どこかしら美しい表情であった。 何かあきらめたような覚悟というか深い痛みとか悲しみとか、そういうネガティブなものを乗り越えた人の持つ一種清々しい力の抜けた容姿であった。 それで興味を持ったところ、筆者の友人によればこの若い歌い手さんはしばらく長患いをして業界から隠遁していたらしい。 一切自分のオリジナルを入れず、他人の歌を堂々とカバーリングして、3枚もアルバムも出すなんて大胆な試みであるし、ある意味大変な度胸と自信と自分のシンガーソングライターとしてのプライドを捨て「良い歌を自分の声で歌って聴いてもらおう」という強い意志であるから、チョット今まであまり耳にしたことのない例であるように思う。 例えば同じシンガーソングライター松山千春とか来生たかお、山下達郎とか松任谷由美とか中島みゆきとかが他の人の歌を歌うだろうか。 ある意味で自分のイメージを守る為にはかなり冒険的で挑戦的なのではなかったかと思えるのだ。 さらに「自分の歌」(つくった歌ではなくて、純粋に歌手としての歌)について相当な自信を持って出したのであるから大したものである。 このアルバムを個人的に聴いてみたところ、これは大成功であったように思える。 選曲もアレンジも、声も歌い方も素晴らしい。 オリジナルの歌手への敬意も感じられとても好もしい。 中にはオリジナルよりも出来の良いものもいくつか混じっているが、その全ての曲がまぎれもなく徳永英明の歌となっているところが凄い。 流石にボーカリストと銘うっているだけのことはある。 小さなライブハウスで歌われているようなディナーショーで静かに囁くように歌う、甘いハスキーな声にはウットリとさせられると同時に、何かしら懐かしい感情が湧き起こって思わず落涙するほどである。 他の歌手の歌がどこかしら薄っぺらく聴こえるほどである。 そういう訳で最近は昨年の傷心をひきずっているせいもあって、この徳永英明の歌とアンドレ・キャニオンというカナダの作曲家のロマンチックなピアノ曲だけを聴いている。 筆者も殆んど音楽というものに日常的に親しむことがないので、結構めずらしいことである。 このような文章を書くように心が動かされたのは何人かの友人にこのアルバムを聴かせた時に同じような感想を持ったというのが大きな動機のひとつになっている。 やはり彼の「声」に秘密があるのであろうか。 いつも確実に一定の癒しを得ることができる。 平原綾香という歌手にもそれは少しあるが、何か理由のない重みみたいなものには少し差があるようである。 ありがとうございました 濱田朋久 |