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■ 運を良くする方法 | 2009. 3.11 |
こういう題の本は、書店に行くと昔から山のようにあって、占いの本のベストセラー、たとえば高島易断や神命館気学なども良く考えてみれば「運を良くする本」という分類をされるジャンルのものではないだろうか。 いずれにしても多くの人々によって「運」という概念は自然に社会や世の中の諸々の現象に溶け込んで何の違和感も不思議も感じられず受け入れらているようだ。 「運」という文字の字面からすると、表象としては「軍の進むさま」であるから、或る一個人とか家族とか企業とかとても太刀打ちできる相手ではない。 「軍」というくらいで有無を言わさず何の容赦も遠慮もなく、強大な武力で人々や社会を蹂躙するチカラを持っているのが軍というもので、クーデターなどというものも殆ど軍人が起こすもので、大変物騒なイメージのものである。 それだけ大きなチカラであるので、少しアタマの良い人々や世間的に立派な人間ほどこの運というものを信じている傾向があるようだ。 何せ一個の人間など軍に勝てるワケがないし、さらに軍の進むさまであるからチョットくらいの会社や国なども運などには到底敵うワケがないのである。 そういう訳であるので、この運という不可解で説明の難しいものを良くする種々の人間の行動というものがいかに人生をそれこそ「幸運」に導くものであるかが了解されたならば、そのメカニズムなどどうでも良いからここは腹を据えて良運を掴もうではありませんか。 運の良い人の特長をランダムに無作為に列記すると以下のようになる。 1)信仰心が篤い どのような信仰を持つかという問題もあるので詳細は書けないが、何かしらの敬虔さみたいなものを皆さんお持ちのようで、「理屈で説明できること」しか信じられない人、つまり信心深くない人は普通運はあまり良くない。 家の周囲に塩を撒いたり、盛ったり、良い壷や仏像を祭ったりとかこのあたりの良果、悪果については微妙であるが、何か目に見えないカタチに表せない、説明できないという意味では「運」と似ているので、何となく腑に落ちる話しではある。 家相、墓相、人相、手相などさまざまの運気を観る観相学なるものもある。 2)謝念が強い 感謝の言葉である「ありがとう」の音韻にも運的なチカラがあるようで、たえずこの言葉を口走るだけでも運が良くなるらしい。 また何事にも感謝する人は、心根が優しく穏やかで情も細やかで、人に好かれて人間関係としても良運や良縁に恵まれるようだ。 3)素直 この心の姿勢も結構大切である。 素直な人は謙虚であり、勉強家であり、どんな人の話しにも耳を傾け、情報も知恵も入りやすく、逆にその対極にある頑固な人、かたくなな人とくらべると、その運気の盛大さにおいては天と地ほどの差異があると思える。 4)努力 何となく辛そうな響きがあるが、進んで何かしらの良き事の為のこの「努力」即ち刻苦勉励、精進を毎日続ける人には幸運の女神は優しく微笑むようである。 5)考えすぎない、思いつめない 運の良い人は意外にもノーテンキである。 したがって明るい屈託のない性格の持ち主が多い。 その上物事を「流れ」として捉えるので決断が直感的で早い傾向があるようだ。 即断即決という感じである。 6)自分の為より人の為の行動が多い 少なくとも動機の根底には自分の為というものであるかも知れないが、純粋に人の喜ぶのが好きという人は殆どまちがいなく幸運の人だ。 ただし、少しでも何かの見返りを求めるとこの傾向、つまり幸運を逃すこともあるそうだ。 7)悪口を言わない 愚痴とか不平不満とか泣き言みたいなネガティブな言葉はすべて運気を逃すらしいから良運を得たいと望むなら厳重に戒めたい。 悪運とか貧乏神に取りつかれた人にこのような人が多い。 8)唾を吐かない これは結構クセになっている人が多いが、このような習慣のある人の運もあまりかんばしくない。 9)人やモノを大切にする こんなことは当然のようであるが、運の良い人にはこの傾向がとても強く、特に人を大切にする人の運はとても良いようだ。 10)運を信じる 上記のような話しを信じて実行する人はまず運が良い。 11)その他 @陰徳を積む。 たとえば人知れず善行をするとか、こっそり寄付するというような人の運もきわめてよろしいようである。 Aトイレ掃除をする。 これは結構流行しているが、結果も確実。 B墓参りをする、先祖供養をする。 (先の信仰心と同じである) @ABのようなものの方が一見幸運の招来に重大に思えるが、何故筆者がその他にひっくくってしまったのかというと、その他の方はその心の姿勢を問うたものではないということで少しランクを下げている。 何故かというと「幸運を得る」というものの最も重要なものは、その人物の心にあり、その考え方にあると思えるからだ。 やたらと行動主義を唱える人がいるが、筆者としては喋るのも考えるのも「行動」ではないかと捉えている。 そもそも「知行合一」と言って、陽明学などでは有言不言を問わず実行を重んじたが、それは武士というものに行動を起こさせる為のもので、この信奉者であった西郷隆盛を死に至らしめている。 西郷ドンを良運の人か悪運の人かとういう問題があるが、晩年に惨死したという意味は悪運なのではないだろうか。 思考というものはひとつの巨大なエネルギーなのではないかと思える。 昭和の哲人、中村天風などの説によれば、人間の心と宇宙霊(万物の創造主)とは霊妙に応酬しており、儲かると「思えば」儲かるし、儲からないと言えば儲からないという風に断言しておられるが、この言葉などを聞けば「実行する」ということを全く強調していないのが解る。 知識と行動についての概念である「知行合一」というのがピタッと心にハマる人というのは恐らくとても怠惰な人ではないかと思う。 筆者の場合、怠惰か勤勉かわからないが、思いついたことは大概できるだけ早く行動に移さないと気がすまないタチであるので、この思想をはあまりピンと来ない。 まとめてみると @ありがとう A世の為人の為 B悪口を言わない(不平不満などネガティブ全部) Cその他で(1)トイレ掃除(2)靴をそろえる(3)神仏への祈り ありがとうございました 濱田朋久 |