コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 恋について(5)2005. 3. 6

 いきなり宗旨替え。懲りずに恋について。どうしてもご要望がありまして。すみません。

恋というとロマンチックな言葉ではありますが、ベースはどろどろとした性的な欲望に基づいたエロチックな関係。
それに付随したその性的対象に対する人間の欲望の根本。つまり「自分のものにしたい」もっと言えば「自分だけのものにしたい」という支配欲、所有欲のバトル。
したがって二人の間には、互いに「引っ張り合う」ための、ある「距離」が必要。強力な若しくは適当な「障害」があると、さらに恋心を昂進させる。
「ロミオtジュリエット効果」という言葉もあって、邪魔が入る、ライバルがいる、という設定は恋のドラマには不可欠。「間違いない!」
以前にも書いたと思うのですが、現代では携帯電話、電子メールがあり通信障壁が殆ど無く、さらに社会全体の風潮のせいか倫理的障壁も下がってしまい、「不倫」とか「道ならぬ恋」にしか「恋」が存在しえなくなった。・・・・・ような気もします。もともと恋は、怪しい道ならぬものかも。

強力な性的エネルギーと貪欲な所有欲をエンジンに、知力体力気力、時には経済力を競うのが、恋という一種のゲームの真髄でしょうか?

したがって恋の成就には、やはり強烈な忍耐力も要する。
こうして人生ドラマの集大成としての「恋」の存在意義が説明できる。

本物の恋ができるなら、その対象がたとえ殆ど「距離」の無い配偶者であろうと、職場の同僚であろうと、同級生であろうが、不倫相手であろうが、人生や仕事での勝者になりうると信じています。たとえその結末が、成就を見ない失恋あろうと。
いや失恋こそ人生の「肥やし」かも知れません。乞うご意見。

みなさん頑張ってください。

ありがとうございました。


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