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■ 人類の富について | 2009. 1.31 |
世界一のお金持ちというと、今や世界中に出回っている殆んどのパーソナルコンピューターに組み込まれたシステムソフトの特許を持っているビル・ゲイツというユダヤ系の米国人であるが、「兆」単位の富を保有しているそうであるそうで大したものである。 パソコンを持っている人すべてからまるで税金かなんかのように自動的に集金される商売のカラクリをつくり上げた、まさに天文学的な富を得ている人物。 アタマが良いと言えばアタマが良い。 今日、巨万の富を得る為の必須の資質と言えばやはりアタマの良さというものに尽きるかも知れない。 筆者はパソコンとかインターネットとかにはほとんど詳しくはないが、広く汎く世界中にそれらの機器とシステムが出回っていて、今やそれ無しでは政治も経済も人々の生活もすべて動かなくなるくらいの状況にあるから、富の創出もそれらにひっかかって商売をするのが一番効率的手っ取り早いのかも知れない。 話を戻すが、富というと昔は金やダイヤモンドのような金銀財宝とか土地とか家屋とか家畜とか、はたまた大昔には女性というものも富のひとつと考えられていたが、富というものの定義のひとつとして「財を生むもの」というのがあって、金とか銀とか或る種の宝石には美しいというだけではなく、貨幣と同じような価値があり、時間により変化しにくいので「生身の女性」よりも価値が高いという認識があるかも知れない。 ただし精神的にはこの価値づけは真逆になる。 いずれにしても男性にしろ女性にしろ生身の人間の場合、余程特別な技能に長けているか知恵知識の宝庫のような人物でなければ骨董品のように年数を経たものに価値がつくことはない。 今や知恵知識も先述したパソコンによるIT(インフォメーションテクノロジー情報工学)の発達によって、それ即ち知識情報を保有しているからと言って重宝がられ有難がられることがなくなってしまったようだ。 老者、高齢者への尊敬の念の低下も昨今見受けられる。 その人口数の増大も理由としてあるかも知れないが、その価値の相対的低下、即ち知識情報への価値づけの凋落と共に薄れてしまった感がある。 実のところ知恵とか経験とか言うものは老者でなければ得られないものもいくつかある筈であるが・・・。 土地というものは人間の住む価値、商売をする用地としての価値よりも実は大昔から大地の恵み、即ち食物の採取、収穫の為の価値が一番高かったワケで、日本の長者番付の例でも明治20年代頃には東北地方の大地主、つまり米作農家の米収穫能力による土地所有者への富の集中化というのがあったが、今は世界的にもそれは南米とかロシアとか大規模農業経営者に一部見られるだけである。 金とか銀とかウラン(原子力エネルギーの燃料)とか石油とか天然ガスとかの鉱物資源の採掘権保持者、言い換えれば一般的にはその土地の保有者か発見者かにその富が集中するワケであるが、これらの取引業者たとえば石油メジャーとかにも富が集まるようである。 また銀行や保険会社を中心とした金融事業にも富が集まるが、これは利子とか担保とか危険予測指数とかによる計算上の安心とかの付加価値をつけてお金を売ったり動かしたりするワケであやしいビジネスと思うのだけれども、世界中がこの金融ビジネスというものに何の疑問も持たず巻き込まれてしまって現実に米国発の金融不況というものが世界中を巻き込んで多くの人々の生活苦や経済的困窮者を増やしているけれど、これほど不思議な現象はない。 何故かというと世界中から少しも富は失われてしまったワケでもないのにみんなで貧乏になったような損したような気分になるなんて誠に奇怪な状況である。 その上「世界恐慌」なんていういささか尋常でない表現もあって人心の不安は煽られっぱなしである。 有限とされている鉱物資源の大量消費による枯渇であるとすれば、それは地球の富の減少であるとも言えるが、今は石油の価格も落ち着いているので、この原油の価格の乱高下も何かしらのあやしいカラクリを臭わせて謀略くさいが「金融ビジネスの崩壊」、言い換えるならば金融商品への信用の低下によって生じた人々の購買意欲の減衰、つまり『景「気」の後退』がことの本質とすれば、連日流されるマスコミの不景気報道もその現実の不景気という現象への一役を買っているのではないだろうか。 その上日本における団塊の世代の人々の場合、幼少時代の貧乏時代を少し経験しているのでチョットした危険信号を感じとると容易に「我慢」とか「忍耐」という方向に心気が向いてしまい、折角の富も市場に流れずに、悪辣な守銭奴のように「蓄財」という生活防衛に何の含蓄もなく走っていくように見えて興ざめしてしまう。 つまり貧乏な人々はお金を持っていないので使わず、金持ちは蓄財に走って使わず、国も財政難を理由に使わず、世界中誰かれもお金を使わなくなってしまったというのが今の世界不況の本質であると思える。 世界中の富の殆どは上位数名の人々が独占しているという風に聞いているので、このような人々にとっては世界不況など「どこ吹く風」と思えるが、この不況ですら自分達の富を増やす為の陰謀であるかも知れず、マスコミも政府と称する各国の指導的立場にある「一部の人々」にとっては富などというものはあまりにも手近に腐るほど蓄積されてしまっていて、その悪臭が漂うような昨今の金融不況という名の世情である。 人間にとっての本当の富はもっと精神的なものであり無形のものである・・・といつも考えているが、それは「時間」であり「愛」であり本物の「物」である。 本物の「物」とは大切にする価値のある「物」であるけれども、それは壊れても壊れないようなダイヤモンドのようなものではなく、優れる人々の精魂込めてつくり上げた文化(生き方)であり、芸術であり、文章であり、教育であり、多くの人々を幸福で豊かな生活に導く人間の創作物である・・・と思う。 ありがとうございました 濱田朋久 |