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■ バイクボーイの憂鬱 | 2008.10.30 |
昔、村上龍の「テニスボーイの憂鬱」という小説があって結構他愛のないストーリーで、それ程売れたようでもなかったけれどももともと小説とか読まないのに一気に読んで「何だこれは?」と思いつつも妙に心に残る黄色い表紙のハードカバー本であった。 物語は土地成金かなんかで仕事しなくても生活できる金持ちの若い男が主人公でメルセデスベンツの450SLCという高級外車と生まれてまもない自らの子供のことと、遊びで始めたレストラン経営と女遊びとテニス三昧をしていて、誠に羨ましいような無目的で享楽的で遊惰な生活をしている若い男の日常を淡々と描いてあって、特徴的表現としては自分にとって身近で重要な人物がみんなカタカナでまるで記号のように表してあって、それだけ周囲の人々を無機質で低重量で透明で薄弱な存在として主人公の男がよく伝わっていてオモシロイ作品ではあった。 つまり自らのエゴの欲望のまま日常を過ごしているであるが、例えば自分の子供が「言葉を発した」とか「テニスの時に女の足がどうだ」とかクルマの乗り心地がどうだとか人生の目的とか哲学的な人間として描いていなくて、どちらかというと低劣な俗物として主人公を描いてあったのではあるが、それなりに生活の喜びを味わいながらも何かしらの憂いとか鬱屈した思いを心の深奥に秘めていて、それが自分では不明であるというような1980年代から90年代の世相と考え方が小説としてうまく表現してあって、それなりの出来映えであったように思う。 その上、その頃(30才代)の自分の日常とよく重なっていて、同じ低俗な生き方しかできていない未成熟で幼稚でケモノ染みた人物像が当時では結構共感もできたものであるが、今でもそう変わりはないのかも知れず、人生における生活の喜びというのはその程度のものなのかも知れないとも思える。 今は50代半ばであるけれども、相変わらずバスケットボールはしていて「シュートが入る」だの「プレーのキレが悪い」だので落ち込んだり喜んだりするし、クルマやオートバイへの興味関心もやや薄れたものの相変わらずで、モチロン一人の男として女性への興味も殆ど低下していない気がする。 最近はまたオートバイに週に1〜2回は跨るようになり、その快楽も少しずつ再起動して来たようで、まさしく流行のオヤジライダーの仲間入りの感がある。 オートバイというのは普通音楽を聞いたり、物を食べたり、人と話をしたり、電話をかけたりしながら運転することはできず、黙々とその運転という操作に集中するワケであるが、少しでも油断をしてその集中を途切らせようものなら生命とか健康な肉体とかの自らの大切な資源を犠牲にする羽目になるやも知れず、あまり万人向けの趣味でもなく人様に簡単に勧められる娯楽でもないけれど、どうしてもバスケットボールと同じでその麻薬的な魅力から逃れることはできそうもないでいる。 逆に言うとそれだけ趣味人としてはどちらかというとスリルのある危険なものが好みのようであるので、人生の自己破壊とかへの欲求が心の奥底に潜在しているのかも知れない。 としかくスリルのない日常には退屈させられる。 本来は臆病な性格と自認しているのであるけれど、冒険とか危険なスピードによる陶酔感とかを瞬間的に味わいたいと思うし、そのスリルの去った後に残るのは深い虚無と憂鬱なのであるけれども、だからこそ生命の実感を一瞬でも味わいたくてこの危険な趣味と遊びはやめられない。 これはSEXの喜びと共通していてどちらも何らかの生命の消耗と貴重なエネルギーの散逸という感覚を伴う快楽があるという自覚があって、そのように感覚しているどちらかというと甘い陶酔感に満ちた自滅的自己破壊的、誘惑的スリル体験であり、「跨る」という動作にもその共通な快楽性を感じとっているのではないかと自己分析している。 人生に憂鬱を感じた時には何かしら間違った考え方、生き方が隠れているという心理的な真理があるらしいが、それでも心理的に解決しようという試みよりも、直接的に割合手軽に「生命の実感」を得る道具としてのオートバイにはやはり強烈な魅力があるようだ。 オートバイに跨ってスピードを出すというのは人間にとってはスカイダイビングとかバンジージャンプとか登山とかロッククライミングほどではないけれど、ミニアドベンチャーつまりプチ冒険家なのである。 何らかの人生の憂鬱を一瞬に取り去ってくれるもののようだ。 乗り終わった後の安堵感の中には言葉にできなかった何かがある。 横山秀夫の代表作とも言われる「クライマーズハイ」には、登山家の高アドレナリン状態、即ち恐怖感の麻痺とハイテンション、鬱屈の霧散が表現にあって、これはオートバイ乗りにも言える心理状態でもあり、「ライダーズハイ」と呼べないこともない。 そういう風にして人は無意識に無心を求めるのではないか・・・と思える。 ありがとうございました 濱田朋久 |