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■ 無というもの | 2008.10.30 |
「無」というものの概念を多少観念論的になるかも知れないが、秋の夜長とビールの微酔をたよりに少し思うままに書き綴ってみたい。 人間が人生を生きて行く前提として必ずそこに快楽とか楽しみというものが必要らしいのであるが、一般的に原因のいかんにかかわらず「うつ病」の人々にはこの快楽への鈍さが存在するそうであるが、今回はこのような「うつ病」もしくは「うつ状態」の人々も含めて話をすすめてまいりたいと思います。 人々の集団としても個人としてもさまざまの「活動の動機」というものを探っていくとどうしても「欲望」という脳の活動につき当たるが、何故そのような欲望が生じているかというと、やはり何らかの快楽を得たいという動物にとっての「餌」のようなものがぶら下げられていて、それはやはり神の誂えであって、人間の思考の産物ではないということに気付かされる。 たとえば食欲であるが、何故人間に「モノを食う」という快楽を与えたかというと、人間を生かしておくためであろう。 性欲というものも「種族保存」の為であるという風にしたり顔で何の疑問も持たずに断言する方が時々おられるけれども、この欲望ですら人間を生かしておく為の神の人間を操る為の仕掛けによるものではないかと思える。 ここで神という表現をしているのは、無神論者の人々とか神というものへの宗教的概念を強くお持ちの方々には愉快ではないかも知れないが「万物の創造主」という風に書くのが面倒くさいのと、さらには「万物の創造主など存在するものか」と考えておられる方におはもう少し我慢して読んでいただきたいと思います。 そもそも人間の知覚・感覚できる宇宙を含めたこの世界というものの知覚できる限界というものは、その知覚・感覚を理解しているその人間のアタマの限界にしたがっていると思える。 つまりその人間がこのくらいと思ったレベルがその人にとっての世界の限界領域であって、たとえばある小さな村に住んでいて、生涯その土地を出たこともなく現在知られている所謂科学知識というものが全く与えられていなかったならば、その人にとっての世界はその村そのものの限界内にとどまってしまうであろう。 一方太陽系だ、銀河系だ、小宇宙だ、大宇宙だ、ブラックホールだ、ブラックマター(暗黒物質)などいろいろ科学の知識情報を持っていてそれをとりあえず信じている人々にとっては、世界の限界とは無限に近い不可思議なものであろうし、広大無辺なものであろうことが想像される。 一村落と大宇宙はエライな違いであると思われるであろうが、いずれもアタマの中の世界なので真実は大した差ではない。 世の中は時間と空間の2つで構成されていると考えている人が多いと思うが、最近の科学、特に量子力学とか物理学、最新の宇宙では少し違う考え方をするようだ。 そういうモノモノしい思考内容でなくても目に見えない、聴こえない、触れることのできない、つまり無の世界というものが宇宙の構成要素のあるらしいのである。 宇宙のはじまりはビッグバンとされているが、普通の人間の持つ時間感覚で考えてみてもビッグバン以前の世界とはどんな状態だったのであろうか。 そんな疑問を持つ人も結構おられるのではないか? また空間認識でも、宇宙は無限か有限かという疑問もあり、そもそも無限とか有限という概念がこと宇宙を認識するのにあてはめられることができるのであろうか? 人間の持つ一般常識では説明できないことなのであろう。 最近は女性の科学者でこのようなことは「科学的」に説明する人も出て来たりして、個人的興味としては面白くなって来たが要するにこの世の中のすべてを存在論的に説明しようとすると必ず「無」の世界にぶつかるので、光に対する闇と同じように有に対する無という風に世界のあらゆるものを二元論的にひっくくるとするならば、絶対的に「無の世界」というものを対比する世界としておいておかないとチットモアタマがスッキリしない。 人間という存在は何者(物)かに「生かされている」のだ。 仏教的な道徳観としての「人間は生かされている」だから感謝しましょうヨというようなものではなく、さまざまな欲望や快楽や人工的な薬物やら科学物質、科学人工物、人間の世界をとりまくすべて、すなわちギャンブルや酒やSEXや金銭や情報やらありとあらゆるものを誘惑的な「餌」に無理矢理に何者(物)かに生かされているというのが人間の本質的実態なのではないだろうか。 それで「だから虚しい」なんてマイナスの方向に覚醒した人はすべてに絶望し自殺してしまうこともあるであろうし、プラスの方に覚醒してこの世は虚無の世界であるから何もかも考えてみればバカバカしいものであるけれども、その何者かの与えたさまざまの快楽装置や仕掛けに乗せられて、どこへ運ばれるか知らないけれども流れていこうじゃないかと覚悟した人を悟った人というのかも知れない。 ありがとうございました 濱田朋久 |