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■ 学習意欲障害 | 2008.10.29 |
子供のLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥性多動性障害)と言えば、アスペルガー症候群などの自閉症も含めてコミュニケーション障害とか、学校教育の現場でも家庭でも極めて悩ましい問題であるが、それらとは全く別の「学習意欲障害」というものを筆者なりに定義してみた。 これはあらゆる年齢層にわたって発症し、高学歴の人も低学歴な人も無関係に誰にでも生じうる障害である。 うつ病では必発であるが、そうでなくても現状維持とか今の生活に満足しきっているとか、高学歴で自信マンマンなんて言う人も、平凡な才能と経歴の持ち主でも誰かれ問わず存在しうるけれども、所謂正常人、健康人として社会生活を送ることができるが、経年的にみると結構深刻な社会生活上の、または家庭生活上の不具合を遅かれ早かれ発生させて本人も周囲も困った事態に至る可能性がある。 脳というものはどうも「学習する」という本能を持っているようで、特に人間の場合これが強いようである。 それが潜在意識の中に組み込まれていて、特に女性の場合、多少の個人差はあるが、中年以降の女性にそのような欲求が高まることがあるが、これらの学習欲求とか換言するならば成長欲求というものを満たしてくれない男性の場合稼ぎが良くてもSEXや料理が上手でも、少し気のきいた女性には「捨てられて」しまうことがある。 このようなおめでたい男性というもの或る意味幸せではあるかも知れないが、自らの学習意欲の欠落によって生じたであろう魅力の無さによって、何となく疎んじられたり、時には蔑まれたり小馬鹿にされたりするのに本人は何が原因か理解できないでいることが多い。 これは男女逆のこともあるが、この場合は割と平穏であるが社会的に成功した人とか、やたらに身分の高い人とか高貴な人の場合にその夫人が認知症とかになることがあるので、別の意味で或る種の人生の悲劇ではある。 これらの望ましくない状況を招来したくなければ、何事によらずとりあえず「学ぼう」とか「学習しよう」という欲求を持ちつづけることが肝要であるが、コトの重大さに気づいていない御仁も結構おられて誠に喜劇的でもあり悲劇的でもある。 只「学習しよう」と欲求するだけで良いのであるのに・・・。 端から見ていて何となくお気の毒である。 教育とか学校とか学習というのは子供にとってはかなり重要な人生の足がかりであるが、このことは成人した大人にとっても決して重要度は低くはなく、学習すればする程実りの多い人生を得られるので、昔の有閑マダムでなくても一時期流行したカルチャースクールだの、○○教室だの○○セミナーなどは今でも女性の参加者ばかりが目立つようであるが、これは或る意味世の男性達にとって由々しき問題ではないだろうか。 男にとっては仕事そのものが学習の場であるので、それに気づいていないのであろうが、女性も先述したように中年期以降は性ホルモンの関係かモリモリとこの学習意欲が湧いて来て、平凡で退屈で変わり映えのしないワンパターンで成長の全く見られない男性を置き去りにして「飛んで行って」しまうこともあるので「奥さん」「奥様」と崇めまつって家に閉じ込めておくか、自らも一緒に学習をして共に成長して行かなければ、何となく哀れな寂しくわびしい老後というものを味わされるかも知れない。 このことは職場でも家庭でも趣味の世界でも十分起こり得ることなので、どうしても「学習意欲障害」という「病気」は治しておきたいけれども、自覚症状は非常に微かであるので、気づいた時には「遅かった」ということが男女ともよくあることであるけれども、やや男性の側にこの悲劇が多いようだ。 生活上の知能というのは女性の方ははるかに高く、例えば人間関係であるとか言葉の力というのはどうも女性が優位であるが、リーダーシップ能力についてはやはり男性の方がやや高いレベルであるようだ。 男性ホルモンの働きであろうと思える。 このホルモンの中には性欲と共に支配欲、征服欲、攻撃欲、好奇心というものが多分に含まれていて、女性の場合も中年期から初老期くらいにこれが異様に高まる人もいて結構ヤヤコシイ。 日本を含め先進諸国には国家元首を含め大臣とか大統領などに女性がいたりしてこのことを如実に物語っている。 男性諸氏よ、もっと勉強しましょう。 もしくはこのような事態を予測し受け入れる覚悟をしましょう。 ありがとうございました 濱田朋久 |