コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ プロ意識2008.10. 5

NHKの人気番組のひとつで、各分野の一流のプロフェッショナルの人々に迫り、その仕事ぶり、考え方、果ては道具まで披露する企画があるが、それらのプロ達の言葉にはいつも感じさせられる。

プロと対比させられる言葉としてはアマチュアというのがあるけれども、この差は一体何であろうかということについて考えてみたい。

スポーツ選手の場合を例にとれば「プロはお金をもらって競技している人」であり、「アマは報酬のない楽しみとして競技している人」ということになるが、もう少し具体的にはアマチュアはプロセスだけでも良いという風にも考えられる。
こういう風に考えていくと、プロとして最もふさわしくない言葉というのは「頑張ってます」とか「一生懸命やってます」ではないかと思える。
モチロン、プロスポーツの場合そのプロセスについては謂わばショービジネスであるから、ハッスルプレー「頑張っているプレー」についての賞賛は当然としても、長い目でみるとキチンと結果を出していかなければ最終的にはクビになってしまう。

このことはあらゆる職業人(プロ)について言えることで、やはり結果が一番でプロセスやら努力やら勉強やら練習というのは結果を出す為の手段でしかないのだ。
野球を例に取れば「素振り3,000回しました」よりも大事な試合でヒット2本打ちましたの方がはるかに価値があるのだ。
営業マンであれば「売り上げ」が一番で数多く営業訪問しました、つまり努力しましたよりもパチンコして遊んでいても売り上げ(結果)を出した方が優秀なセールスマン(レディー)ということになる。

この感覚は経営者にはすぐにピンと来るが、給与所得者の方々には何となく伝わりにくいことがある。
つまり「一生懸命やってます」「ガンバッテます」だから評価してくださいなどという言葉が出てくる。
社会や企業や組織での評価システムの中にこのプロセスについての価値づけは全くないというワケではないが、結果に結びつかない努力ならば殆んど無に等しいのである。
筆者もこのことについては時々キッチリと意識している。
つまり、「治ったか治らなかったのか」「苦痛を取ったか取らなかったか」「満足してもらったか不満足であったか」。
このあたりはアタマを割とクールにしておかないとついつい目の前の作業に夢中になってしまって、何の為にやっているのか混乱してしまうことがあるので、常に自らに注意を歓喜している。

このプロ意識の涵養についてであるが、
@まず何の為にこの仕事をしているかと自問すること。
「生活の為」であればこれは見えにくい。
できれば社会的位置づけについて深考しておくと良い。
崇高な志や理念(BIGWHY)でもあればさらに良い。
A次に優先順位の決定である。この仕事の結果は何で、そのための行動の優先順位くらいは最低でもつくっておくことであろうか。
Bついでに社会全体から見て自分の仕事についての評価基準は常に念頭に置いておきたい。
以上の3点について意識をしておくと、プロ意識を維持できるのではないかと考える。

専業主婦も含め、「業」(繰り返し同じことをする)というものにはこのプロ意識というものは必ず持っておいた方が良いのではないだろうか。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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