コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 心トレ2008.10. 5

こういう風に書くと、心臓のトレーニングに受けとめられる方も多いと思うが、あらためて解説するまでもなくここでは「心」のトレーニングのことを指す。
今は「筋トレ」ブームだそうで、若返り健康法としての筋肉トレーニング、例えば「腕立て伏せ」であるとか「ヒンズースクワット」と呼ばれる膝の屈伸運動であるとか、はたまた中には本格的なスポーツジムに通って見事な筋肉質の肉体を造っておられる方もおられるようである。
アメリカの人気俳優さんなどは、殆んど素晴らしく美しい肉体を保っておられる方が多いようで、日常的にダイエットと筋トレは欠かさないのではないかと推量している。

ということはつまり、「美しい肉体」を勝ち得る為には或る程度この「筋トレ」なる肉体の鍛錬は欠かすことのできないものなのではないかという理屈が導き出される。
勿論全く何もしないでいて美しい肉体を持っておられる男女の方も数多くおられるが、生来的に天の恵みとして何の鍛錬もなく、好きなものを好きなように食べて飲んで全くもって不摂生のカタマリのような御仁であっても、抜群の運動神経とか肉体美をお持ちの方も時々おられるが、こういう人々はとりあえず除外をして話しをすすめてまいりたいと思います。
美しい肉体=鍛錬の賜物
であるならば、同じように
美しい心、強い心=鍛錬の賜物
なのではないだろうかという仮説を立ててみたワケである。

美しく鍛え上げた筋肉というのを手に入れる為に絶対的に必要なものは、その筋肉に対する「負荷」である。
それは言うならば「心」にとっての「ストレス」のようなものではないだろうか。
子供のころから厳しい訓練やしごきやしつけというようなものは、謂わば「トラウマ」と呼べるような性質なものも混じっていて話しがヤヤコシイが、この「トラウマ」と「健康的な鍛錬」の境界にはいかなる基準があるのであろうか?
一般的に最近では「心の傷」とか「トラウマ」とか「ストレス」というものに対してとても悪いイメージを持たれている方が多いが、これは社会のひとつの風潮として自然にメディアを通じて世間から与えられたものであるといことに幾人の人がお気づきであろうか。

これらの、どちらかというとマイナスなイメージを喚起させる
「トラウマ」
「ストレス」
「心の傷」
「虐待」
「強いしつけ」
みたいなものに明瞭に境界をつけることはあらためて考えてみるに、とても難しいことに思える。
「しつけ」と「虐待」の境界はいったい何なのであろうか。
それは愛情の有無、善良な意図が、悪意を持ったものかなとは実のところ第三者や虐待や「しつけ」を与えた側のもであって、どのように受け取ったかは最終的には「本人の受け取り方」の問題と思われる。

このように議論については、実は良い参考書があって、それは童話や民話である。
「シンデレラ」とか「みにくいアヒルの子」とか「美女と野獣」とかの一連のカワイソウな少女を主人公に描いた物語では、概ねストーリーは決まっていて「花よ蝶よ」と大切に育てられた女の子よりも、女中やドレイのように働かせられ、いじめられた少女の方が成長するにしたがって徐々にその鍛えられた精神と忍耐力と知性によって美しく輝いてとても魅力的な女性となっていくというような、どちらかというと紋切り型の展開の物語なのであるが、このようなケースでも全く美しくならないで逆にいじけて劣等感のカタマリで臆病でひねくれて、全然美しくも知的でもないというようなケースもあって、この差異の決定的なポイントは一体なのであろうかとつくづく悩ましい問題であると考えられるのであるが、筆者の独断と偏見でこの差の別れ道、つまりもっと簡単に例を上げるならば、たとえば「しつけ」か「虐待」かの受けとり方の差異を創り出すものは人間の持っている知性とか情性のようなものではないだろうか。
もっと具体的には、あらゆる困難な出来事や逆境や虐待を「鍛錬」とか「学び」とかにするのは最終的には本人の「学習する能力」にかかっているのではないかと思えるのだ。

先述した一連の童話の物語の主人公達は一様に「読書家」であるとか、「学習家」であるとかの気質を持っており、さまざまの人生生活の労苦を「自らの学び」としてあたかも「筋トレ」における好もしい「負荷」のように多くのストレスやトラウマや虐待やしつけや困難や不遇や逆境を見事に美しい心の糧、心の筋肉にしているように思えるのだ。

人生は楽しく楽々と生きるには、あらゆる「苦」を好むことが必須であるそうな。
苦しいことを好きになるなんてどだい無理な話であると思っていたが、昔の自らの手帳をめくってみると、物事の処し方についての対応のまずさの順に
@憎苦型
A逃苦型
B耐苦型
C歓苦型
なるものがあると書いていたが、最良は歓苦型であるそうである。
これではまるでマゾヒスト讃美のようなものであるが、ある意味で「筋トレ」も「ダイエット」もここで書いている「心トレ」もマゾヒストの本領のようでもあるので、所謂成功者と呼ばれる人々の多くにこの傾向が見られるのでここに記してみたところである。

子供の教育については、やはり厳しい親、厳しい先生の方が優しい親、甘い親、優しい先生、甘い先生よりも結果的に良いような気がする。
筆者のカン違いかもしれないが・・・。

ありがとうございました

追記@
以上の理論理屈については反論もいろいろあると思われるが、特にストレスやトラウマによって心や体に何らかの不具合を生じている人々には少し不愉快に感じられた方も多いかも知れないが、治療的には過去の出来事についての「解釈」の仕方を少しづつ変容させていくのに、時に効果があることがるので参考になると思う。
少なくとも「すべてこれで良かったんだ」と考える方が、後悔しつづけるよりはるかに健康的であるように思える。
いずれにしても過去に対する考え方は変えることができる。

追記A
人間には反抗期というのがあって、3才と10才と15才くらいにおとずれるが、この反抗に対して親は「戦う」方が良いように思う。
何故なら「反抗」する為にはその対象が必要であるからである。
対象の無い反抗というものは反社会的逸脱行動に向かうことがあるが、これはあの有名なジェームス・ディーンの傑作映画「理由なき反抗」に描かれている。
どんな反抗にもチャンと理由はあるのだ。
親が子供の反抗をキチンと受けてやれなかったことが原因で起こる社会的異常行動が時々メディアに漏れ出てくるようだ。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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