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■ 医療経営の矛盾について | 2008.10. 5 |
母校の同窓会誌をタマタマ読んでいたら、先輩の講師だった外科の先生が大学付属病院の院長を辞されることになり、これまた外科系の系列病院の副院長の大学病院の後輩のドクターの一文が載っていたが、内容がほぼ同じであったのでここにこれを記してみたい。 その内容とは、病院の経営の大変さを物語っていたが、これは全国津々浦々同様であろうと思うのであるけれども、論点のその要旨をまとめると以下の2点にになる。 @経費節減しなさい(無駄を省け) A売り上げを上げなさい(手術を多く行え) といういかにももっともな話しであるが、これは医療経営の一般の経済人から見れば当然のような論理であるが、患者さんや社会にとっては医療制度の大いなる危険な問題を孕んでいる。 このことについて書いてみたい。 良質な医療というのはとてもお金のかかるものである。 新しい最新の医療機器、優秀な人材、新しい薬剤、いずれもとても高価なものばかりである。 医療機器については日進月歩素晴らしく、便利で安全で使いやすい機材が数多く売られている。 新型カテーテルとか自動縫合機なんてものもあるそうだ。 全く痛みのない注射針なんていうのもあるらしい。 加えてあたらしい薬剤である。 これらの新薬は莫大な開発費も含めるので、極めて高価である。 一方人材でも、優秀な外科医となると大変な努力と時間と長い修業を要するので、これまた安いギャランティーでは登板してもらえない。 このような背景で外科手術を多くしなさいということは極端に言うと、経済効率だけを追求すれば不便な、安くてふるい機材を使ってどこにでもいそうな新米の医者に、闇雲にあたりかまわず手術をできるだけ数多くすれば良いということになり、患者さんにとってはとても不安な状勢であるけれども、普通の患者さんであれば医療のレベルは判断できないのであるから、○○大学病院とか有名な○○病院とか、全国病院ランキングなどを調べて来て手術の実績数や成功率などあまり素人なら調べようがないレベルの知識も持たずにただ「○○病院」というブランドだけで、その病院をを選択するワケであるので、その実態はというと先述したように @経費削減 つまり、旧式の医療器材と経験も知識も技術も貧弱な新米医者による A手術件数の獲得 つまり、一定の時間内でできるだけ多くの手術をしなさい というワケであるから、決して最高の良質な医療を提供しましょうということにはなっていないという事実に賢明な読者ならばすでに気づかれる筈である。 良質な医療というのは高級な料理のようなもので、高級な食材とベテランの腕の良い料理人の創作するおいしい料理と同じものと考えることもできるが、それを味わう為には相当なお金がかかり、お客の方もそれは当然と考えるが、こと医療についてはそのような経済構造にはなっていないように思える。 というのは、どんな腕の良い医者もどんな新しい良質の薬剤と機材を使って手術をしても、また逆にオンボロの機械を使って経験や技術や知識の少ない医師がしても値段は同じであるという事実があるのだ。 例えるなら、屋台のラーメンと高級料亭の懐石料理くらいちがっても、夕食としての価値づけが同じというくらい格差が生じる可能性があるのにもかかわらず、「そのようにしましょうヨ」という意志表面を何の疑問も含羞もなく有名大学の外科系の病院長と副院長がそろっておっしゃられることへの不思議な感慨についてである。 こんなコメントがサラリと出てくるくらい病院経営は追いつめられている。 本来の人間の持っているかけがえのない健康と生命という最高の価値あるものへの社会や行政側の軽視から生じている構造で「悪徳」であるが、誰も疑問も感じえない程いつのまに常態化している社会全体のムードというか風潮となっている。 一般には屋台のラーメンの料金と高級懐石の料金はあきらかに違って当然であるから、医療サービスについては何でも良いから晩メシには金のかからないラーメンをできるだけ多く食べてもらいましょうヨ・・・という風に件の病院長の話を読んでしまった。 あまりに窮ち過ぎとも思えるが、つきつめればそういう医療制度になっている。 つまり。公定価格というものの限界が生じるくらいに無駄を省くという経済効率の追求をしているということである。 太平洋戦争時、敗色の濃い日本軍の状況に思いを馳せた。 即製乱造された新米パイロットを老旧化した兵器、特に航空機。 それでも敵を数多く撃ち落せとは無理な相談なのだが、まだ今の日本の医療が死に態ではないのはとりあえず多くの医師達の倫理感・使命感に支えられていると思うのであるが、そろそろ限界なのではないだろうか。 敵(病気)を撃ち落してはいるということである。 しかし、敗戦はするかもしれない。 その敗戦とは、国民の健康という最大財産の喪失であり、健康保守の不具合というものであるが、今のところまだ表面化はしていないが、ジワジワと出没しているようだ。 敗戦つまり医療崩壊も近いかも知れない。 太平洋戦争で米国が勝ったのは大量の新型兵器とベテランのパイロットを大金をふんだんに使って製造養成したということにつきる。 また情報戦を制したとも言えるが、政府の示す日本の医療の方向性は戦前の陸海軍の飛行機とそのパイロットへの投下資金の少なさなどが敗戦への主な主因である。 そのような状況にならないように、日本の医療の質の高いレベルで維持する為には、先の大戦での米国の軍備への資本投下くらいの大英断をしなければ日本の医療は自壊崩壊してしまうかも知れない。 チョット大袈裟でしたネ。 しかし、大学病院の院長先生の経営センス、経済感覚というものの程度を知ることができて大変参考になった件の同窓会誌ではあった。 大学病院というところは文科省の管轄になるので、多少の経済音痴は見れないであろう。 これが厚労省の管理下におかれる国立病院(いまは独立行政法人)になると、逆に労働者擁護に走り、やや社会主義、共産主義的な色合いを帯びるようだ。 何でもそうであるが、良質なものにはお金がかかるのである。 この原則はほとんどの市場経済においてはあてはめられているが、こと医療経済については薬剤や医療機器、建物などの周辺のビジネスについては用いられている理屈であるが、医療そのものの中身、つまり医師や看護師やそのまわりのパラメディカルを含め、患者さんに直接にかかわる業務についてはあてはめられていないようだ。 これは官僚制度にも言えることであるが、お上というのは現場から離れる程身分が高い証しとなり、現場に近い程身分が低いという傾向があり、これはこの世界ではキチンと是認されていて、特に警察官僚などにこの傾向は強いように思える。 医療行政、厚生行政についても同様のことが言えるようだ。 つまり、現場を何も知らない人が身分が高く決定権を持ち、謂わゆる有識者を集めて会議をして、その方向性を決めるのであろうが、私達現場から見ればいつもどこかトンチンカンな印象を持ってしまうような法律や制度をつくっておられる。 医療経営の改善のためには、どうしても制度へ常に踏み込まなければ抜本的解決にはならないと筆者は考えている。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |