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■ 金融というものについて | 2008. 9.29 |
米国の巨大投資会社が64兆円もの負債を抱えて事実上倒産した。世界中に激震を与えた大事件であるが、いかにも仕組まれたような出来レースを思わせる結末であったので、マスコミや世間の論調を無視してこれを書いている。 アメリカの所謂サブプライムローン、低所得者向けの住宅ローンつまり信用力の低いと見なされる人々、もっと言うならば返済の可能性の低い人々を対象に組まれた割賦返済システムに対する債権を世界中の金融機関、投資会社に売りつけてビジネスにして来たワケであるからその結末は火を見るより明らかである。 つまり「返せない借金」についての「返済要求をする権利」を第三者に売りつけるというシステムであるから、これは明らかに正当と見せかけた詐為である。 もっと身近な例で言うと、例えば1,000円を貸しているAという人が1,000円を借りているBというもともと返す能力のない人への「返してくれという権利」をバラバラにして多くの他の友人達に売りつけるというやり方であるが、これは物凄くアタマの良い金融ビジネスではある。 10円とか100円とかにバラして、例えば50人のクラス全員にそれを売りつけてたとえば5,000円とか1万円とかの架空の「返済額」をつくり出すことも不可能ではないように思える。 そこに返済保証「のようなもの」が「質入れした商品のようなもの」であるとしたら、殆んどの企業や人は簡単に騙されてしまうにちがいない。 これは投資という「儲け話」に似ていて、人間の金銭に対する欲望を刺激するのでさらに容易にそれらに飛びついてしまう。 こういうカラクリだらけで世の中の金融ビジネスというのが成り立っているので、多くの一般人は騙されたような気にさせられるが何かしらの難しい金融の用語や理論などをもっともらしく語られたり、税務や法律なども複雑に絡ませたりするとワケが分からないままにそのような金融商品をついつい購入してしまうのではないだろうか。 色々な契約書、例えば保険とか借金の保証書類などには細かな字で、まるで紙幣の紋様のようにビッシリと密に書き込まれているので殆んどの人はそれらを読まずにサインをしたりするのであろうけれど、これ程或る意味で危険なことはない。 法律とサインと文字と紙キレとで構成された「信用」という「商品」はいかにも貴重な物品のように売り買いをされて、実態経済つまり物やサービスとの交換できるという意味でのお金の価値よりもお金に対する、お金を生み出す価値の架空的創造によって成り立つという特殊な経済システムが出来上がって、それからのお金の捻出というのが可能である場合もあったりして、ますます人々は架空の実態のマネー経済へと知らないうちに導かれていく・・・。 そんな風に筆者はりかいしている。 マチガッテいる理解かも知れないけれど、自分のアタマで理解し説明できない事物への投資はしないようにしているが、実は筆者も失敗はある。 それは商品取り引きとライブドアの株であるが、いずれも純然たる詐為であったので、筆者も完全に騙されて数百万円のお金を失ってしまった。 ずい分と高い授業料ではあったが、勉強にはなった。 金融ビジネスを信じてはイケナイということと、それに関わる人々も信用してはイケナイということであり、これは有名な都市銀行や地方銀行や証券会社や保険会社なども含まれる。 ただし、それらを自らの仕事にしている人々の間での取り引きについては何らの問題はないとは考えている。 マネーゲームも「ゲーム」というくらいで、そのゲームをする人々のあいだでは一定のルールがある筈であるから、そのルールに精通しそのリスクを知り、そのルール違反も受け入れる態度と覚悟を持った人々についてはこの限りではないと思える。 ただし、一般庶民についてはそのようなゲームへの参加は控えたがよろしかろうと思える。 特殊な訓練を積む必要があるし、才能も経験もいる筈であるし、それを人から学ぶことも・・・。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |