コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 心の洗い方について2008. 9.24

こんな重要な重大なテーマを表題にかかげてしまっているが、「いつか」「someday」と先延ばしするのはとてもイケナイことだそうなので、本一冊の題名についても使える大切なメッセージであるので、心して読んでいただきたい。(笑)

まず、「心」はコップのようなものでもあるのでしょっちゅう洗わなければならない。
空にして口を下向きにして棚に入れておいて、美しく輝くように磨いておけばさらに良ろしい。
汚いヨゴれたコップや、汚水やゴミや石コロの入ったコップを使って水を飲んだり、ジュースを飲んだり、お酒を飲んだりする人はいないであろう。
同じように心もコップのようなものと考えれば楽しく、愉快に、効率よく使用する為に以上のように「心を洗う」という作業は必ずいるのであるけれども、多くの人はこの「心を洗う」作業というものを学校でもテレビでも、友達も先生も、ましてや親や兄弟も教えない、習ったこともないが多く、心を放置したままにしている。

中村天風という人の創設した15年位前に「天風会」に入っていたことがあり、この会で習ったのが件の「心の洗い方」であるが、それは「安定打坐」という名称のものであった。
それは所謂「無念無想」の境地に心を意識的に入れる「心の作業」をさすが、方法は実にカンタンである。

中村天風氏が、インド山中で修行中にフッと悟った方法だそうであるが、それは「音」を使う方法である。
映画館で、本編の上映の前にブザーが短くなるが、あの「ブーッ」という音を集中して聞いていて、それを止めた刹那に一瞬おとずれる「無念無想」の感覚を感得する方法である。
この無念無想の境地というのには、何とも言えない心地良い気分を味わえるので、筆者の場合少年時代から座禅や瞑想に興味を持って、ある程度は感覚を知っていたので、案外容易にその原理と感覚、方法には共感し、ナルホド凄いなぁと思ったものだが、周囲の人はそれ程感激してはくれなかったようだ。

天風会では、色々な哲理や体操などを学んだが、この「心の洗い方」についてが一番勉強になった。
「ブザー」を実際に買って来て練習したりしたものだが、そのうちに忘れてしまった。
今は筆者も心を洗わずに寝てしまうことが多い。
心のコップも時々チョンチョンと洗うだけであるので、もう一度この天風会の方法を試してみたいと思っている。
明日にでもホームセンターで買って来ようかと考えている。

「感動する」ことでも心は洗われる。
今夏は中国の北京でオリンピックがあったが、その競技を見ても涙の出るような感動シーンがいくらかはあった。

感動する小説、感動する音楽、感動する映画など人々は無意識に心を洗っているのである。
モチロン仕事や趣味やスポーツに没頭している時にも自然に無念無想になり「心は洗われる」が、その行為を中断すると再び雑念妄念、つまり「考え事」「悩み事」など諸々の心のゴミが入って来ることが多いので、心を洗う為には意識的にこれらの方法のいくつかをキチンと習慣的に身につけなければならないが、残念ながら殆んどの人はギャンブルやスポーツや仕事やアルコールや薬物やSEXなど、人間の創り出したさまざまの「ごまかし」や「麻酔物」で心の洗濯などしないままでいるように見える。

ここでお勧めなのが、瞑想による心の洗濯を身につけた人にとって、人生は楽々として軽快なものになる。
また、この瞑想は少しの時間だけで費用もかからず、どこでもいつでも極めてお手軽に心の洗濯ができる上に心の充電(エネルギーチャージ)をすることもできるのでお勧めである。

「心を洗う」
「心を磨く」
「心を掃除する」
「心を元気にする」
「心を若くする」
「心を美しくする」
正しい方法で行われた瞑想程カンタンで心地良い心のメンテナンスの方法は今のところはない。・・・と思っている。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座