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■ 苦月 | 2008. 9.24 |
苦というのは楽と対比させる言葉であるが、悪い面ばかりではない。 所謂「苦学生」とか「苦労人」というのは必ずしも悪いイメージではなく、どちらかというと立派な人間を想像させる。 苦労して来た人というのは、人の痛みの分かる、優しくて思いやりのある人間になれるとは限らないかも知れないが、少なくとも「苦労知らず」のお嬢ちゃま、お坊ちゃまよりマシな気がする。 九月は体調を崩しやすいので気をつけたい。 夏と同じ生活のリズムだと油断していると殆んどの人が疲労感や倦怠感や眠気、ダルサを憶える。 体調維持の為には、まず睡眠時間を伸ばす必要がある。 夕暮れの早まりと同じように人間も早く就寝するか、朝遅くまで床にいるかしてカラダやココロを休めておくと良い。 カラダを休めているからと言って、ココロまで休まるかというと必ずしもそうとは限らないけれども、少なくとも嫌な仕事、嫌な人間関係、嫌な環境から逃避することができる。 以前にも書いたように、逃避というのは一般にイメージが悪いが、対決を好む人々も多くいヤヤコシイが、対決とか対峙とか正面から物事や人間と向き合うというのも時には必要かも知れないが、筆者の場合この対決というのがもともと苦手である。 それが人間の場合、特にそうである。 睡眠とか休息というのは、すべての生物には必要なものであるが、これは謂わば逃避の最たるもので、病院とか刑務所とかしか逃げ込む場所がなく、仕方なく病気になるか犯罪者かになるかしてそれらの施設に逃避して来られる人が高年者を中心に増加してそうであるが、それ程世の中とか世間とか娑婆というものが生きにくくなっているのであろう。 最終的に死という逃避の方法を選ぶ人もいるが、想像を絶するような苦境にある人々に対しては自死や自殺は良くありませんヨと素朴な忠言など簡単にはできない。 それ程人々の心の底にあるさまざまなカタチの「苦」とか「痛み」とかはそれが肉体的なものであれ、心理的なものであれ多くの人々を責め苛む。 何らかの苦痛からの脱出法としてはやはり優しい親族や友人や先輩など色々あると思うが、その悩み事を含めた苦痛の相談を受けて、ただちに適切な解決法や判断や決断を下せる人は案外いないものだ。 どちらかというと知識不足とか経験不足からくる無知の為に不適切な解決法や未熟な判断や助言や忠言をされて、ますます事態を悪化させてしまう人々の方が多いような気がする。 筆者の場合、まずは本を相談者とするが、自らの病気の場合本は決して開かないようにしている。 必ず専門家、つまり正しき判断を下せる親切な医者に率直に相談する。 「病気」の場合、逆に本が一番イケナイ。 特に「家庭の医学」などという辞典みたいな本は最悪である。 読んだ人に「安心」よりも「不安」や「心配」を与える可能性の方が高いので、心配性の人や神経質な人は決して読まない方が良く、一番良いのは近所の優しい経験豊かなドクターである。 その上個人的に親しければさらに良い。 気軽に相談できるからだ。 カラダの病気以外では、意外に本が良い場合がある。 筆者の場合、苦しい時には、まず本に頼っている。 さらに普段から相談を受ける人を側に置くようにしている。 筆者の両親、特に母親は雑学的な知識の豊富な人で、何でも相談すると女性問題以外では殆んど的を得た素晴らしく適切な助言や判断を与えてくれたが、4年前に他界した後は、優秀な相談役とか顧問のような人々を常に側にいてもらって何かにつけて相談している。 筆者は医者であるので、カラダのこと、医学のことは学生時代から優秀な友人がいっぱいいるので、相談相手には事欠かない。 経済関係、ビジネス上の相談役としては会計士以外に特別な顧問に来ていただいている。 さらに易占的な相談、霊的な相談をする人もいてもらっている。 それ程気が弱いとも言えるが、知識とか情報とか知恵とかについては、多くの書籍蔵書だけでなく、さまざまのセミナー講演会に出かけていき、また常々に身近の専門の相談相手に物事の判断、解決法や考え方について問うようにしている。 このようにしていても、やはり迷い、苦しみ、判断のミスを犯す。 それで、毎日の墓参りは欠かせない。 それですべてをおまかせすると「何もかもどうでも良くなる」。 この状態は、自らを放解した感覚を味わえるので、一種清々しい爽快な気分を味わえるので、すべての人にお勧めである。 人間に悩み、苦しみの種は尽きない。 釈迦は、現世は「苦の娑婆」と言い切っている。 さまざまの「く」を克服して「楽しみ」や「楽」に変えていくのを、真に「生きる」という意味ではないだろうか。 個人的に九月を苦月と呼んでいるが、決して悪い意味ばかりでなく、成長発展の月とも考えている。 医者や教育者、易者、役者など本当はこの苦をまず取り去るのが先決で、説教は後であると思える。 そういう意味では「お笑い芸人」というのもエライ仕事と思えるが、医者のくれる単なる一時しのぎの鎮痛剤か解熱剤みたいなもので根本的苦しみ苦しみを取り去ってくれるものではないけれど「笑う」という癒やしの効果を免疫力活性化のチカラは持っているので、ヘタな医者よりも価値が高いのかも知れない。 少なくとも明石家さんまという芸人さんの8億とか10億とかの年収をもらっている医者は今の日本にはいない筈だ。 それが癒やしの力を物語っているとは言えないが、不特定多数の人々の苦しみを緩和させているか、忘れさせてくれるかはしているようであるから、或る意味尊敬に値する。 追記 ・痛いときには鎮痛剤 ・眠れない時には睡眠薬 ・うつ病の時には抗うつ剤 ・感染症には抗生物質 ・いずれもお金のことはヤバイ金融機関 という程に悪いアイデアではない。 意外に良くないのが「我慢」である。 これはココロにもカラダにも良くない。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |