コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ こころ2008. 9.23

コロコロ変わるから「こころ」と呼ぶという説があるが、或る面確かに「心変わり」は人間の性(サガ)で、当てにならない程コロコロ変化する。
しかし、「本当の心」本心とか深いところの心というのは、本当にそんなに変わりやすいものなのであろうか。
そのことについて考えてみたい。

筆者のアタマの中では、人間の心には深度みたいなものがあって、浅いレベルとか中くらいのレベルとか深いレベルというのがあるように思える。
そして最深度のレベルになると、精神医学者ユングの言うように集合無意識と呼ばれるようなすべての人間に共通する全く同一の「心」があるのが真理ではないかと思っている。
例えば、地球上の海の水をすべて干上がらせたらあらゆる陸地が連がっているという物理的事実のように・・・。
考えてみれば地球もひとつ、水もひとつなのである。
人間の心も実は「ひとつ」なのであるが、成長発達の段階で「自我」というのが形成され、他者と自分を分けて他人の心と自分の心が全く分離されたように感じて日々生きているのが殆んどの人々の自然の感覚なのではないだろうか。

「自分」という言葉もオモシロイ。
「大自然を分けた」存在とも考えることができるので、たとえば川の水でも海水でも良いから「水」というものは1個のコップにすくい取って、それを「自分」という感覚にしているという風に捉えることもできる。

つまり、もともと物質としては永遠不変の存在である水とその他の分子が「化」けて生命を天から与えられ、1個の人間として存在しているワケであるから、物質としての生命というものも焼かれて水蒸気になった水も、骨となったカルシウム分もその他諸々の物質的なものは、すべて少しも無くならないというのが今日の科学の考え方である。

この場合に魂とか心とかは一体どこへ行くのであろうか。
と考えてみるに魂とかの霊的なものはともかく念とかというような人間の心の深いレベルのもの、たとえば怨念とか怨恨とか憎悪とか愛着とか恋着とか言うものの根深いものはその持ち主の肉体が滅んでも現世に残っているのではないかとも言われている。

金持ちも三代は続かないとか貧乏は百代つづくとか言う諺があるが、このことが真実に近いものであるなら何故そのような傾向が生じるかと言えば、やはりその人間とその一族、家族のさまざまな念というか考え方思い方がいかに変わらないかということの証しのような気がする。
そうして金持ちも三代しかつづかず、貧乏は百代つづくということなら、貧乏になる思いかた、考え方の方が一般的で安易で簡単になりやすく、例えば水が高いところから低いところに流れていくように自然にしているとドンドン悪い考え方、貧しい心の持ち方なっていくようであり、豊かで楽しくて幸せな考え方、思い方、心の持ち方というのは或る特定の努力を怠るとすぐに貧しくて暗くて不幸な「心の持ち方」になっていくのではないだろうか。

深いレベルでの「心の持ち方」を例えば潜在意識とするならば、それは人間の意識の割合では90%だそうで、それはまたとても変わりにくい、つまり「現状維持」をしようとするので特別な工夫をしなければ殆んど「現状維持」をしてしまって結果として貧乏は百代つづくというような現実が生じ、金持ちも三代しかつづかないという現象もまた明らかに納得できる根拠を示してくれているように思える。

これは世界全体の民族の間でも生じていて、世界中を自転車で10年近くかけて旅行をした人の話しを聞いた時に感じたことのひとつは、世界中どこの人間も「愛」とか「友情」とかのどちらかというと好もしい性質を持っている一方で「人を騙す」とか「嘘をつく」とか「人を虐待する」というような性質も若干見られるが、概ね世界の人類の多くの人々の心の中では、どちらかというと好もしい情や愛の方が圧倒的に自然にして多いようである。

このことは筆者の僅かな海外旅行の経験からも、どんな人も家族とか恋人とか子供とかのことを尋ねると、殆んど例外なく嬉しそうに楽しそうに語ってくれることが多いという事実からも推量されることである。

ただ、この中間レベルの心の状態というのは普通の人間の場合、いつも不平不満とか欲求不満とか何かしらのネガティブな感情や考え方に心が満たされていて、たとえば感謝とか純粋な隣人愛とかの人間にとっての好もしい「心の持ち方」を押しのけて「心」を「占領」していて多くの厄災を人生にもたらすか、もしくは自らの人生生活をスポイルしてしまうようであるようだ。

富める人々、幸福な人々の心の持ち方習慣というものをしみじみと考えてみると、それは殆んど楽天性と学習意欲と感謝の念と誠実さに尽きると思える。

「不幸は嘘と共にやってくる」という言葉があるが、人をおとしめるような嘘、例えば悪質な中傷や秘密の暴露みたいなことを悪意を持ってする人には殆んどの不幸や貧窮がおとずれるようだ。

ノーテンキな人には疫病神が憑きにくいという説もある。
つまらないネガティブトークや不誠実不親切な良からぬ計画などをお持ちの方は、そういうものはただちにやめにして「まあいいか」なんていう少しいい加減でありながらも楽天的性質を示す科白(セリフ)を度々口走る方がムツカシイことを深刻に考えて人生を暗くするよりはるかに有益であろうと思える。

結論としては、全体的に深いレベルでは「愛」、中くらいの深さでは「感謝」、表面の浅いところでは「ノーテンキ」、つまり余計なことはあまり考えないで楽天的にしている方が人生の無駄なエネルギーの漏出を極力抑えることができるのではないかと思える。

ありがとうございました

追記
最深層の心の状態とは「無」の世界である。
無いという状態もない「絶対の無」、すべてのエネルギーの根源であり、またすべての心と現実の平和の為の「心の境地」であるが、この境地を知り得た人は少なく、また説明してもナカナカ理解できない。
一定の方法と修業があるけれども、それを得ようと決意したならば案外簡単に手に入れることができる人々とできない人々がいる。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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