コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 美しい話2008. 9. 9

謂わゆる美談というものはいつも人々に秘匿される傾向にあるようだ。
何故なら美談が美しく存在できるのは、それがつつましやかに逸話として隠されているからで、自慢気に吹聴されてしまったら、たちまち少しも美しい話にならない。
そういう背景、理由がある為か、日本人の外国人に対する美談というのは、当の日本人が一番知らないという現象が生じている。

米国メリーランド大学の調査によれば、世界中で最も良い影響を与えている国は日本だそうで、これは誇らしい事実である。
昔、元アルゼンチン大使だった人の書いた本で「みにくい日本人」というのがあったが、それは主に海外における日本人の外見とか行動様式とか態度風体のサマの酷い部分だけをあげつらって、少しく自虐的につづられたものであるが、当時の日本人の多くの人々には結構反響を呼んだものである。

今時はそんなことを言う人はいないけれども、米国以外の海外に行くと、海外旅行をしている日本人の風体物腰にはやや自信に欠けており、またその服装にもどこか統一性と美意識にバランスを失しており、どこかしら滑稽ですらある。
このことについては今回のテーマからははずれるので書かないでおくけれども、今や自信というものを失くしている日本人が多いらしく、どちらかというと日本礼讃みたいな本を手に取って読むようにしているが、過去の日本人の持っている美談というのは、数限りなくあって、同じ日本人として誇らしくもあり、もともと民族主義的傾向もある愛国的日本人である筆者にとってはとても嬉しい読み物である。

その中身をひとつひとつ上げることはできないが、ここでお伝えしたことの要点は世界の中の日本と言った場合に、その存在感たるやマンザラでもないということと、多くの日本人の心の中に共通している文化の美しい面を上げるとすれば、特に外国人に対する「優しさ」ではないかと思える。
多少「おひとよし」とも取れる程の、この他者に向けられた少し無邪気で素朴な優しさは、大切にしなければならない日本人の良い気質ではないかと思える。

昨今は「訴えてやる」なんて言うバカげたテレビ番組などもあるようだが、日本人は日本人らしく、変な外国の訴訟傾向など真似をせず、「まあまあ」「なあなあ」とか黒白をハッキリさせない文化、喧嘩両成敗なんて言ういささか乱暴な裁量の方法なども平和の為には必要ではないかと思える。
自動車同士の軽い接触事故でも、どちらが悪いか目くじらを立てるより、なあなあ、まあまあで「スミマセン」で済ませれば、ほんの1秒で終わる。
日常の瑣末な出来事も、こと訴えるとか言っていると大量の人生の時間を「それ」に費やすことになり、「スミマセン」と「訴えてやる」は天と地ほどの人生の差が出てくるのに、あたかも訴える方が得で、なあなあで済ませる方が損であるかのような価値感を醸成するようで、誠にはた迷惑な番組である。

この表題の美しい話には丁度正反対の価値感があるようで、お互いに色々あったけれども、まぁ仕方ないがないから何とか丸く収めようじゃないかというような、謂わゆるいかにも日本人的な美風というものを感じさせて美しく思える。

もう一度美しい話の共通点をまとめて述べるとすれば、以下のような文章のようになると思う。

「色々な背景があるかも知れないけれど、ここは『敢えて』人間としての情性、品性を一番に考えて行動しようではないか」

というようなものである。
つまり、利害得失やプライドを捨て去って、犠牲的精神で品格ある行動を行動を選択した時に、その美談が生じるもののようである。
もっと明確には美談の背景に必ずあるのが、何らかの「犠牲」であり、それを実行した「行動力」であり、それを決断した「勇気」である。

美談の裏には人々の「勇気」と「愛」と「犠牲」と「行動」が必ず存在する。
察するところ日本人というのは、このような美談が好きであるし、そのための犠牲というものが好きな民族なのかも知れない。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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