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■ リメイク映画 | 2008. 9. 9 |
最近スーパーマンとかキングコングとかゴジラとかアメリカのリメイク映画製作というのが常態化している。 それだけオリジナルな面白いストーリーが不足していることらしいが、最近のハリウッド映画は、特に「儲け」や「ヒット」を意識している為に、それが奇抜で好奇心あふれたオリジナルな原作に出会っても、まるで日本の時代劇、例えば「水戸黄門」とか「遠山の金さん」とか「大岡越前シリーズ」とか極めてワンパターンであるけれども、観る側に対して或る程度「期待を裏切らない」結果を出そうとしているので、この傾向はいたしかたのないことかも知れない。 シリーズ映画とリメイク映画は似ていて非なるものであるから、今回はリメイク映画について記してみたい。 筆者のお気に入りの映画の中でも 「グロリア」 「ゲッタウェイ」 「華麗なる賭け」 というアメリカ映画があって、いずれも傑作として名高い古い映画である。 いずれもそれぞれリメイクはされているが「華麗なる賭け」だけは「トーマス・クラウン・アフェアー」という題名に変えられていたが、中身は完全なリメイクであった。 けれども、この「トーマス・・・」だけは前作を或る意味で凌いでいた。 それはハッピーエンドであるという点と、ずい所に新たな工夫が凝らしてあって、筆者のコレクションとしてはオリジナルよりもお気に入りだ。 「グロリア」という映画は、ギリシャ系アメリカ人のとてもハンサムな俳優、ジョン・カサベテスの傑作映画であるが、主演はこのカサベテス監督の奥さんであるジーナ・ローランズである。 導入部からして傑作を思わせる哀切に満ちた音楽と絵画を直写した映像とで観客を魅了しているが、ジーナ・ローランズの圧倒的な存在感と魅力とストーリー展開に何回観ても飽きない何かの芸術性というか心に響くものを持っている。 ちなみにジョン・カサベテス監督の遺児はやはり映画監督となって、年老いた母親のジーナ・ローランズを主人公とした「君に詠む物語」という美しい映画を撮っている。 この同名のリメイクの「グロリア」はハッキリ言って全くの駄作であったが、シャロン・ストーンにそういう主人公の重みとか存在感みたいなものがあまりなく、情けない程面白くなかった。 やはり「グロリア」はジョン・カサベテスとジーナ・ローランズのオリジナルの映画なのだ。 一方「ゲッタウェイ」であるが、これはリメイクも案外頑張っていた。 前作はサム・ペキンパーを監督にいただいて、主演にスティーブ・マックイーン、当時は実際に不倫の恋仲であったアリ・マッグローをヒロインに製作されたが、これは主に監督の腕とスティーブ・マックイーンの演技力と魅力とでかなりの傑作となっている。 また、ラストの音楽も良かった。 ペキンパー監督は流石と思わせる演出をいたるところに見せてくれて、暴力の生々しさ、主人公の無言の所作、仕事の中に心の葛藤を描きいれていて流石名匠と思わせる、心に残る名場面がいくつも散りばめられていた。 このあたりの暴力描写は日本の名監督「北野武」にも引き継がれていて奇妙に演出が似ている。 意味もない突然の暴力の怖さとそのリアル感が生々しくてよい出来映えであった。 「北野武」監督の良さというのは画像の絵画性と音楽であるが、彼の監督のお気に入りは「BROTHER]である。 久石譲の音楽といたるところに滲んでいる「死の匂い」が日本のサムライの映画を思わせて、とても筆者の感性にマッチした。 一方リメイク版の「ゲッタウェイ」も結構面白かった。 アレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガーの美男美女、なおかつ当時は恋仲の二人が演じる。 この映画は比較的平凡な演出ながら、マイケル・マドセンとかジェームズ・ウッズなど、とても存在感と魅力のある脇役陣を配して、ナカナカの傑作ではあった。 けれどもいかんせん音楽と画像に芸術性が殆んどなく、役者さん達の演技力と美しさ、魅力とひきくらべると傑作小説と漫画劇画くらいの差があったように思える。 それでも傑作とは言えないが秀作ではあったが、そのレベルは主に出演者の力量と魅力に依存しているように感じられた。 最後の「華麗なる賭け」と「トーマス・クラウン・アフェアー」であるが、これは画像や音楽についてのオリジナルへのこだわりがリメイク版にも製作側の工夫がどこかしこに窺われて結構な娯楽性があった。 何しろオリジナルのヒロイン「フェイ・ダナウェイ」が精神科医役で出演していたし、音楽もメインテーマは同じものが使われていた。 その上ラストはオリジナルよりも好もしいロマンチックなハッピーエンドであった。 製作者はこのハッピーエンドを撮りたくてこのリメイクをつくったのではないかと思わせるくらいの心地良いラストシーンがあるので、筆者の場合オリジナルよりもリメイク版の方がお気に入りである。 ただし、いずれのリメイク版もやや抽象的表現になるが、その芸術性についてはいずれもオリジナルに劣る。 娯楽性についてはまあまあかも知れない。 リメイクというものの製作意図が「ヒット商品」の効率的な生産と割り切れば或る程度の成功と言えるかも知れないが、映画というものに何かしら精神的な、さらには人生におけるヒントを得たいという欲求を満たしてくれる「サムシング」を求めている「映画ファン」としては安易なリメイク映画には少しく抵抗がある。 昨年公開された黒澤明監督の傑作映画「椿三十郎」のリメイクも、それらの抵抗の為かやはりまだ観ることができないでいる。 すべての芸術作品とか偉大なる発明というのは、天恵であるという説もあるので、そういう意味でもリメイクというものには芸術性が存し難いと言える。 いかにも人為的、作為的であるので、それは映画という名の芸術よりは単なる「商品」に過ぎないと思える。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |