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■ 急変 | 2008. 9. 8 |
この言葉は多くの医者にとってはかなり嫌悪感を感じるのではないだろうか? モチロン看護師さん達にもこれは言えるだろう。 9月は歴史的にこの「急変の日」だ。 この字を書くだけで心臓がドキドキする。 大正12年9月1日の正午には、関東大震災が卒然と発生し、約14万人の死者行方不明者を出した。 昭和14年の同じく9月1日にはドイツ軍のポーランド侵攻が始まった。 ポーランド国民にとってもまさに記念すべき厄日となっているだろう。 昭和29年9月26日には、青森と函館を結ぶ青函連絡船「洞爺丸」が台風15号により沈没し、1,155人の命が犠牲となった。 水上勉の傑作小説「飢餓海峡」の題材にもなっている。 最近では2001年9月11日にアメリカのニューヨーク市の世界貿易センタービルとアメリカ国防省、謂わゆるペンタゴンを襲った同時多発テロが記憶に新しい。 9月というのは何かしら不気味な月である。 夏休みも終わり、少年の非行や不登校の増加する時期でもある。 人間も急変に強い人と弱い人がいるが、これはストレス耐性の問題、つまり若い時から鍛錬、訓練されているか。 或るビジネスセミナーで聞いた話であるが、医者は急変に強いそうだ。 我が事を振り返ってみて「そうかなぁ」とう訝しがったけれども、講師の先生も専門家らしく断言しておられたのでそうかも知れない。 大昔、25年前に大学病院に勤めていた頃は、血液内科とか循環器内科を研修していた時には、毎日毎日急変だらけで、おまけに救急病院にもアルバイトに行っていたのでお陰でずい分と神経が太くなった。 新米医者にとっては来る日も来る日もまるで「ER」(救急救命室)であったから、このまま続けていたら「死んでしまうであろう」と思っていたところ、故郷の実家の診療所のドクターが急に辞めることになったから「帰って来い」ということになって、不承々々郷里の田舎町の内科医となった。 やれやれ生命拾いの急な帰郷となった。 それでも開業当初は小児科も標榜していたから、子供の急変ではない急変には苦労させられた。 夜「熱を出した」「ひきつけを起こした」というのが多いので、急患と言うと大概子供であったので、診察室の入口で子供の泣き声が耳に入るとソッとドアを閉めてどこかに逃げたくなったものだ。 そもそも子供の泣き声というのは耳障りなものである。 赤ちゃんの泣き声というのは親や大人に対するひとつの警報のようなものだから、神様が危険を知らせる信号音としてつくられたのであろうけれど、未婚の独身の新米の親にとっては相当苛々させるものであろう。 当時は若かったせいもあって、また勤務医時代の激務で急変なれしていた為か診察が終わると案外ケロッとしていたものだ。 今日は救急車が2回も来たが、別に急変ではなく「パニック」とか「ヒステリー発作」「過呼吸発作」なので、交通事故やらアメリカでの銃創やらの外科救急と違って、生命にとっては大したことはない。 けれどもそういう患者さんを嫌がるドクターもいて、救急隊員に断りを入れる医療機関もあるらしく、少し慣れがいるので生命の危機ではないけれど対処に困ってしまうこともあるようだ。 何事にも急変に備える為には何かしらの「覚悟」とか「準備」とかがいるものであるが、筆者の場合いつも素面(シラフ)でいることを心がけている。 つまりアルコールを痛飲したりしないこと、過労を避ける為に仮眠をチョクチョク取ることを自らに奨励している。 開業医になったのが28才の、どこから見てもレッキとした「若造」であったので、当時はポケットベルも携帯電話も無かったし、医者は「年中無休」、眠っているときも医者であると胆に決めて、いつ何時患者さんに呼ばれても「応接」できるように努力しようと思って頑張って来たワケであるが、近頃はそんな事態は色々な事情から「生じえない」ように準備しているので、有難いことにお陰で心臓がドキドキするような「急変」には遭遇しなくなった。 覚悟の程はともかく、医者の応接があったからと言って、徴兵の赤紙でも死刑執行の判決でも大震災でもなく患者さんの急変であるからやるべきことをできる限り迅速に丁寧に誠実に安全に、できれば親切に愛情を持ってクールに施せば良く、何のことは無いのであるけれども、今は少し馴れ過ぎて油断も出て来たので自戒している。 何事も油断禁物である。 これは「恥」という概念としても武士のたしなみの重要なものであるそうな。 筆者は武士ではないけれど、医者のたしなみとして第一にこの「油断大敵」を上げたい。 急変の時に備えるというよりも、何事もなく過ごしている時に急変の予兆、大病の兆しを見逃さないようにという意味である。 9月9日は救急の日であるそうだが、9月1日は急変の日、災害の日と心に決めてもう一度自らの油断をひとつひとつチェックしてみたい。 ヤレヤレ、いくつになっても心労の種は尽きないものだ。 自己鍛錬で神経を太くするか、もう一度初心にもどって心のトレーニングをしてみるか・・・。 ナンテ思う今日の9月1日はありまする。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |