コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 蟹工船2008. 9. 1

10年ぶりに漫画を読んだ。
日本のプロレタリア文学の傑作と呼ばれる、小林多喜二の小説「蟹工船」を劇画化したものである。
何を今さらと思えるが、本屋のフロントの一番目立つところに平積みにされたその同名の小説の赤い表紙の文庫本は「買ってください」とばかりにズラッと並べてある。
娘も買って読んだそうであるが、一時白洲次郎の本も「何を今さら」という思いを抱かせる本を売る側の意図を感じさせるような売り方であったけれど、この蟹工船は確かにいまの時代の風潮にマッチしている。
「格差社会」とか「ワーキングプア」とか「派遣社員」とかの若い労働者達の増加を鑑みると、心ならずも買ってしまうような最近の日本社会のトレンドではある。
まさか日本が共産主義社会に移行していくとは思えないが、近頃は過酷な長時間労働を強いられる人が増えていて、それは昭和の初期のように会社の「儲け」の為のものでも、戦争の為のものではなく、人も企業の生き残りの為のやむにやまれぬ背景や事情を持ったものが多く、企業にも個人にも深い同情を禁じえない。

件の蟹工船の重労働を漫画の表現から少し拾ってみると、まず劣悪で不潔な生活環境である。
労働者達は潜水艦の中か、ナチスドイツの強制収用所を思わせるような悪臭を放つ寝床と月に2回しかゆるされない入浴と、休みなしの1日16時間の労働と聞けば、誰でも怖じ気づくと思うが、そればかりでなく監督による怠働を理由に行われるさまざまな「焼き入れ」と称する暴力や私刑などが日常的に行われるという船内の様子が描かれていて、刑務所や監獄の方がはるかに快適に思わせる程の地獄絵図で、就寝前に読む本としては最悪の内容の本ではある。

こういう風本を読んだ後で、現代の私達の暮らしをふり返ると、かなりの生活苦の人でもとりあえず自由はあるし、寝場所も入浴も食事も少しだけ我慢をすれば何とか人間並みのものが手に入るので、
とても有難くは感じるが、出版側の「何を今さら」の理由に思いを馳せるに、それは今の暮らしが過酷であっても「どうだ」ここまでは無いだろう・・・というような目くそが鼻くそを笑うような程度は低いけれども奇妙な安心感を思わせる意図と、もうひとつはやはり今の時代の多くの労働者に共感を呼び起こす為のものと考えられるが、筆者の見解はどちらかというとどうも前者の色合いが濃厚であるような気がする。
つまり生活の過酷さの感覚を少し麻痺させる為の「〜よりマシ」みたいな大衆心理操作のようなものではないだろうか。
大衆は「生かさず殺さず」巧妙に働かせるぞみたいな・・・。

我ながら邪気が多いが、というも筆者の場合世の中の出来事、特にメディアを中心に活字や映像を通して流される情報や出版物については必ず何らかの背景や意図をついつい考えてしまう癖がついてしまったのでご容赦願いたい。

「一体この事柄にはどういう意味があるのだろう?」

というような疑問を絶えず持ちながら世の中を見ているということである。
何でも「自分のアタマで考える」というのが、成功する人のひとつの条件であるそうであるから、あながち見当ちがいでもなさそうな生き方であるが、この「蟹工船」という小説には確かに衝撃を受けた。
傑作ではあるこの小説の最後のメッセージの中でも少し不気味なものとしては、資本家も経営者側もいわゆる搾取者としてだけでなく、共産主義という社会や政治のシステムの大事な構成要素であったというところでるあるが、このことは今の中国やインドの経済発展や過去のイギリスやアメリカ、ドイツ、日本と言った先進国の社会のシステムの中に必ずどこかしらに潜んでいる大きな社会の構造上の問題で、それらの本質については何かしらの大きな力によってそれこそ巧妙に一般大衆に対して秘匿されていると感じているのは筆者だけであろうか。
つまり共産主義も資本主義もつきつめると労働者に対してはカタチは違えども過酷になりやすいということである。

日本という国は世界中でその平等性においては唯一の「社会主義国」であったそうであるが、巨大な世界経済システム、いわゆるグローバリゼーションの波には打ち勝てず、その平等で幾分牧歌的な労使関係は徐々に崩れ去ろうとしている。

医者という仕事も中身は技術労働者であるが、身分的には中産階級、ひと昔前の表現では「ブルジョワ」であったが、近頃は経営者的な医者も少しずつ増えてきたとは言え、どちらかというと経済音痴の無邪気な「裸の王様」が赤ヒゲ医者を気取ったエセ社会主義者か、ただのサラリーマン医者か、コズルイ商売人かに分類されるような気がする。

個人的にはただ生きていけるだけで良しとするべきであろうが、何となく世間の基準よりも贅沢な暮らしになれてしまって、社会的に堕落した人間になってしまうような気もするし、何となく社会全体に対してひけ目もあったりして近頃は心なしか憂鬱ではある。
医者の場合、やはり労働者としての部分もかなりあるので、それが社会的にも経済的にも今ひとつ伸び悩んでいるという原因とも思えるが、、もうひとつは今の高級官僚と同じく難しい試験を合格したから当然エリートなんだぞみたいな傲慢さがほのかに見え隠れして時々我ながら深い自己嫌悪に落ち入る事が多い。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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