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■ 恋について(2) | 2004.12.19 |
「冬枯れ」というものの感じられない冬。12月なのにですね。 黄色っぽい侘しげな田舎風景ではなく、あちこちに緑が残り、紅葉まであり、もうすぐ正月というムードがあまり無い。クリスマスの飾り付けでさえ白々しく感じるのは、私だけでしょうか? さて、ご要望にお応えし、第2弾。 今回は、あのハンフリー・ボガートの名画「カサブランカ」をネタに、またまた1文を。 前回殆ど推敲というものをせずに、出してしまい、大変恥ずかしい誤字や文脈の間違いやら、本当に失礼いたしました。この場を借りてお詫び申しあげます。 今年の1月に75歳死んだ母は、あるセミナーに60歳で参加したときに、「生まれ変わっても父と絶対結婚します」と書き綴ったノートを残した。 父は丁度50歳の6月に卒然とこの世を去った。49歳で未亡人 となった母は、殆ど色恋などなく、(勿論父の生前から)約25年間空閨を保った。やはり父を愛していたのだろうか? 母は父の死後四半世紀を父との思い出に生きたと言ってもいいかも知れない。 人間は今しか所有できない。それなのに、過去の思い出に生きるというのは、どういうことか?考えてみたい。 人が出逢い恋に落ちる。必ずといっていいほど「嫉妬」とという感情を味わう。恋に嫉妬はつきものだ。この嫉妬がなければ恋愛物語に味気がなくなる。嫉妬はしかし恋の苦しみの源でもある。 なぜ人は嫉妬するか。それは人間の持つ欲求の根本である「所有欲」のためだ。愛する人を所有したいという欲求は強烈だ。だから人は結婚をし「力」の有る男は外妾を持つ。 昔の遊女などは今でいったらレンタルだから、ああいうところで楽しめる人は「恋愛」などしないのではないか・・・と思える。つまり所有欲などないのだから「嫉妬」もしないし、「恋」もない。 そういう職業の人に恋をするというのもあるにはあるが、典型的な昔の「悲恋物語」が生まれる。現代の「悲恋物語」は「不倫」だ。ちょっと前までは、「戦争」というのがあった。その前は「身分」の問題「家」の問題、文化とか風習の問題があったが、今は殆どの抵抗勢力?が消えて、人間の持つ純粋な「所有欲」つまり嫉妬そのものが直で恋愛の苦しみになった。 大ヒットした小説「失楽園」もこの「不倫」を通して悲恋物語、純愛を表現した。 何かややこしい表現になりましたね。スミマセン。 結論を。人間は実は何も「所有」できない。自分自身さえも。だから恋の相手を所有できると思うのは、幻想である。結婚という形態も、この現代では、殆ど当てに出来ない。人のこころに壁や柵はできないから、相手の心を信じるしかない。もしかして裏切られているとしても、「信じる」しかない。 確実なのは実のところ「過去の思い出」しかないのではないか。楽しい「今」の記憶の蓄積である思い出。それに「美しい過去の愛の思い出」は誰も消し去ることは出来ない。 「カサブランカ」の主人公リックも、私の母も美しい楽しい「思い出」に生きた。賢明な決断かもしれない。 1:今を生きる 2:思い出に生きる 3:未来の夢や希望に生きる この三つも生き方は全く矛盾無く、なしえると信じている。 「カサブランカ」をご覧になっていない方は、是非一見を。 読んでいただいてありがとうございました。 濱田朋久 拝 恋に苦しむ全ての人に。 |