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■ 知識という宝 | 2008. 8.10 |
スティーブン・スピルバーグ監督のインディー・ジョーンズシリーズの最新作が今夏公開されている。 主演は言わずと知れた我らがヒーロー、ハリソン・フォードだ。 今回はやや老いが目立ったが、それでもやはりカッコイイ爺さんではある。 アクションに少し無理があるかも知れないけれども、アチラ欧米の方では70才代でもバスケットボールやサッカーやラグビーに興じる高齢者は多く、日本人のように「年甲斐もなく」ナンテ不粋な見方はよしにして、実年令など無視をして素直に老人のアクションに魅せられたらよろしかろうと思う。 ところで、相変わらず少しく哲学的な意味も込められた元気な考古学者の宝探しの冒険が、今回はナチス・ドイツ対アメリカという構図からソ連・共産主義対いわゆるマッカーシズム全盛のアカ狩りの時代の米国という新たな背景が与えられて、南米の奥地に宝を探しに行くインディー・ジョーンズのドタバタアクションながらメチャクチャ腕っぷしの強い学者先生の大活躍を描いてCGXの画像も素晴らしい娯楽大作となっているが・・・。 この最終的な結論は、宝とは彼ら(ここでは宇宙人)にとっては知識であったというものであるが、これは多分にユダヤ人的思想に近いと思えたのでここに記している。 もともとスピルバーグ監督も「シンドラーのリスト」というナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を扱った映画でアカデミー賞を取ったくらいで、さらに○○バーグという名前からして典型的ユダヤ人である。 ユダヤ人というのは世界でも最も裕福な人が多い民族であるが、その根底にある思想のひとつに「知識は富を生む」というのがあって、昔から米国では日本人と並んでユダヤ人の子供の学力というのは特別に高かったそうであるが、最近はこれは韓国人、中国人、インド人に取って代わられつつある。 少なくとも日本人というのは少しこのモード、トレンドから置き去りにされている傾きがあり、これはアメリカ人、ドイツ人も同様である。 どうでも良いような映画や娯楽やメディアに毒されて、少しも知を愛せない人々が最近若者を中心に増殖しているようで、天下の東大生ですらその知識欲、思考力の低下が指摘されているそうだ。 ところで、日本人とユダヤ人の共通点を述べる人々がいて、確かにいくつかの不思議に一致する事柄、気質があるが、そのひとつは読書家が多い(多かった?)、教育熱心である(あった?)というような知識を求める人々が多いという指摘がある。 その他に、このインディ・ジョーンズシリーズの第一作「失われた聖櫃(アーク)」のアークであるが、これは形状が日本の神社にある「みこし」にソックリである。 古代神道とユダヤ教には不思議な共通点があるらしいが、偉大な知識というのはもともと人間の脳でつくり出されたというよりも、宇宙との通信で神の啓示のように、ある個人に舞い降りるものであるという考え方があり、脳は思考するコンピューターという機能もあるが、ラジオとかテレビとかインターネットのように通信機、それも宇宙との通信の為の受信機としての機能と構造も備えているらしい。 太古から、この神の啓示を得る為に人々は犠牲(いけにえ)や祈りを神(宇宙)に捧げ、瞑想をし、黙想し、それらを得ようと工夫してきたようだ。 また、地球人というのはつきつめて大きく考えると宇宙人とも言えるのであるが、実際に地球の原始生命の進化した猿人と知能が極めて高く今の現代人の最新の技術よりもはるかに高度なテクノロジーを持った宇宙人との混血によって現在の「地球人」が生じたという説もあり、その風説の理論に最も近い思想を強く持った人々がユダヤ人と日本人であるらしい。 これはあくまで仮説であるので、確証というものは殆ど無いけれど、少なくとも「知」を愛する民族であるし、その宗教的礼式にも僅かではあるが共通点を見い出せば、少しく納得させられるところもあるようだ。 このような理由で、私達人間は自然の森を見ても、星空を見ても懐かしい気分にさせられ、特に星空からは何かしらの神のメッセージが感じとれるような心持ちにさせられるが、これはスピルバーグの一連の作品である「E.T」とか「未知との遭遇」とかのSF作品と「太陽の帝国」とかいう日本人を取り上げた作品とか、それこそインディー・ジョーンズシリーズにも多分に見受けられる思想的背景がどこかしら似通っているようにも思える。 宇宙と地球と、知識と富と、脳と心、言葉と知識とかに考えを至す時に必ずこのテーマとぶつかるのは筆者だけなのであろうか。 ありがとうございました 追記 中国の老荘思想には、この人間のこざかしい知識というものへの軽侮があるが、これらの思想とても宇宙の偉大な英知を否定するものではなく、仏教思想と同様に無の哲学と無為自然と考え方にはどこかしら宇宙科学的な匂いがある。 人間の文明や文化というものと宇宙との関連に思いを馳せると、どうしても性的な欲求のないロマンチックな気分になれるので、時に夏の夜の星空でも花火大会の折にでもしばらくしみじみと眺めてみられたらよろしかろうと思う。 ひょっとしたら偉大な知識という宝が降ってくるかも知れない。 たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |