コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 恋愛、結婚そして離婚2008. 8.10

今の日本でも欧米諸国と同じように、昔とちがって恋愛をして結婚をするというパターンが多くなったそうだ。
昔は見合結婚なる「しきたり」があって、由緒ある家の正しき子女と男子は仲立に入った人を通じて無理矢理にというか多少強引に引き合わされて結婚に至るケースが多かったと聞いている。

筆者の両親も典型的な見合い結婚で、家と家の釣り合いとか同じ地域ながら血族の混じらない者同士の婚姻が、精妙に仕組まれたように多少強引に成立させられたようだ。
父親にも母親にもそれぞれ後から聞いた話であるが、心を寄せる人、寄せてくれる人が存在したように聞いているが、今となっては真偽は不明である。
今は「就活」ならぬ「婚活」という言葉もあって、若者達の結婚難がつづいているらしい。
その一番の理由は経済的な理由が第一で、これからは「結婚する」というのはチョットしたぜいたくになるらしいという予測もあるくらいだ。
「婚活」と言ってもどういうアイデアがあるか不明であるが、若い男女が自然に出会って結婚する場としてはやはり職場が一番で、それはだいたい80%くらいだそうである。
その次が趣味のスポーツのサークルで、中でも以外に穴場なのが料理教室と聞いたことがあるが、これは既婚者の人々のいくらか良からぬ意図を持った特に男の漁場として認知されているようである。
いずれにしても結婚への願望を持った男女は今でも結構多いようであるが、キチンと実る人は多いのか少ないのか不明であるけれど、婚姻に至るエネルギーとしては打算計算よりも性的衝動の著しく高い20才前後にひとつのピークがあり、20代半ばで大いに迷い、30才代前後であせり、30代半ばで再び迷い面倒臭がり、40才代であきらめるかさらに希望を募らせるかに分かれるようだ。
当り前であるが人それぞれである。
人生に結婚適齢期というのは無くて、それはあらゆる年令であると言い切った年配の女性の言葉もあるので、結婚するのに年令の制限は無く、法的に子供でなかったら誰でもいつでも適齢期である筈なのだけれども、いかんせん人間には好みというものがあって色々と迷うようだが、これは筆者の私見であるが結婚相手を決める場合、それが恋愛ならば一番の要件は「生理的なもの」であると思う。一緒にいて気楽で落ち着いて自由な気分でいられるのが良い相手で、いくら相手が美貌で知性的で高収入、高学歴であっても生理的に不快であるかもっと具体的に「キモチワルイ」と感じた相手とは決して結婚すべきではないだろうと思う。
生理的なものは努力によっても解決できないことが多いからだ。
結婚というカタチは多少社会的なものであるかも知れないが、結婚生活というのはごくごくプライベートなもので、人に見せびらかすものでも自慢するものでもなく、「夜寝る時にダッコして寝て心地良い」相手が最良の相手であろうと思える。
いかがであろうか?
「良妻は百万の味方、悪妻は百年の不作」という古の言葉もあるが、これは真実とは言い切れないところもあるので、この章ではこのことについては触れないでおこうと思う。

大恋愛の果ての結婚が破綻することも多いが、これは或る意味当然と思えるところもある。
恋愛というものは普通相方への誤解や幻想が主な要因であり、本当に肌の合う性の良い相手とは以外にクールに気楽に付き合えるものであるし、真に愛し合ったカップルならばわざわざ結婚などしなくてもただ一緒にひっそり暮らして良いワケで、そこに子供の出生というのがあったとしてもヨーロッパのように婚外子50%という社会のように認知をし、キチンと扶養すれば良いのであって、盛大な結婚式というものは換言すれば虚飾の華典そのものと言える。
つまりカタチが欲しいのであって、極論すれば本質は不用という風にも見えるということだ。

その上、恋愛のピークが結婚式とするなら結婚後は愛のエネルギーも下る一方ということもあって、4年くらいすると性エネルギーが冷めてしまい、間に子供もいたりすると子がカスガイというケースもあるが、子供が邪魔という場合もあって悲惨な結婚生活の果てに嫁が実家に帰ってしまい、実家も実家でその孫をたずさえた我が娘を簡単にキャッチして愛育するという例も多く、最近の離婚の増加のやや安易な家族愛的温床にもなっている。
これらのケースでも実態はさまざまでとても悲惨というものと割合ハッピーという例と両方あるが、幾分前者の方が多いようだ。

それでも長い人生何も起こらないよりはマシと胆をくくってイチかバチか結婚してみるのも良いかも知れない。

筆者の場合「いつでも離婚できる」と思ったから勇気を持って結婚したのであって、しなかった後悔よりした後悔の方が後悔の重みとしては軽いと踏んだだけである。
有難いことに4人の健康な子供を授かり、或る意味幸せであるけれどこの先どうなるかわからない。
ひたすらご先祖にお願いするか、一生懸命仕事をして妻子(つまこ)を養うかのいずれかの手段しか持っていないし、簡単に離婚してもお互いに帰るべき実家もなく、ただ人生の遠奥を不安気にのぞき見ながらとりあえず家族としての形を何とかかんとか維持しているにすぎない。
大方の家族がそういうものではないだろうか。

ありがとうございました

追記
筆者の父親に言わせると、恋愛などというものは「野合」に過ぎないので、そのような男女の関係は犬や猫の交合と同じであるなどと激しく蔑まれたが、若い時も今も何となく趣旨は解るが、心から賛同するワケにはいかない。
今の世の中であれば野合でない恋の方がはるかに不純であるように見える。
それは家と家、組織と組織、敵と味方のパワーバランスの間に生じた生々しいドロドロした駆け引きと打算に満ちたものにも思えるからだ。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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