コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 日常快楽ランキングリスト2008. 8. 2

あたりまえのことに感謝や喜びや満足を感じることが幸福の第一歩とするなら、さらにすすめて日常生活全般の事柄についていちいち快楽を意識的に感じるようにしようというのが今回のコラムの試みである。

第1位はやはり性的快楽であろう。
神様が与えたこの天恵に近い喜悦の世界にはホトホト感心してしまう。
何故このような深い快楽を性というものに神が人間やその他の生物たちに与えたのか、その真意を知りたいものだ。

性的快楽というとすぐに性行為であるとか、それに類する淫らな行為や情景を思い浮かべる人が多いと思うが、筆者の場合には性的快楽というとまず普通の妄想やら思考やら視覚や聴覚やらの感覚を総動員して味わうものであって、それ程単純なものではない。
女性の使う香水や特有の香りやら衣類やら女性を示すあらゆる性の信号や徴し、全体についての興味関心であるのでその対象たるやきわめて広汎にわたるので、そのアタマの中での性の喜びの種は尽きない。

街の中の雑踏を一人で歩いているだけで人間の持つ性の信号をいたるところに発見して、それをアタマの中で味わうことができるので、こんなに手軽で自然で無害で安全な性的な作業はない。
何しろただ眺めるだけである。
濃い目のサングラスをかけていると、キョロキョロしたイヤらしい視線を誰にも気取られずに女性の持つさまざまな性のしるしを思う存分見る、眺めまわすことができるので、これ程カンタンな快楽は無い。
今は夏であるから、薄い生地の衣類から見取ることのできる髪やら足やら胸の膨らみやらお尻の丸みやら、スカートのはためきやら首すじやらノースリーブの二の腕やら靴やらもう無限に近く見て取ることができるので、初老のエロジジイにとってはとても良い季節である。
まるで変態みたいな表現となっているが、何の行動も働きかけもなくただ見ているだけなので、とりあえず誰にも迷惑もかからず、モチロン犯罪でもないし、特に怪しい男と見られることもない。
自らの態度物腰については決して卑しくもなく下品でもないが、よく考えてみるとただのスケベーなおじさんである。
ア〜ア情けない話だ。

第2位は本を読むという行為である。
これは見た目にも知的に見えるだけでなく、文字を読むという脳の作業の中に大きな快楽があるが、全然感じない人とか眠くなるなどという人もいたりして、個人差がかなりある。

第3位はクルマの運転である。
この現代でも最も便利な生活と快楽の道具の使い道、楽しみ方もかなり多様な味わい方があり、今は乗り心地が良いだけでなく音響設備の高級な座り心地の良い椅子や、中には映画も見れるし、電話もかけれるし、ついでにカンタンなものなら飲食も喫煙もできるし、ついでに街中なら歩いている人々を眺めることもできる。
文明の利器の有難さをひしひしと感じることができる。
ついでに冬には暖かく、夏には涼しい殆ど完成されたエアコンディショナーというものがついていて、盛夏の灼熱地獄の炎天もクルマの中は涼しいという快楽そのものを心ゆくまで味わうことができる。
最近の石油の値上がりを思えば、益々車中の涼しさの有難さをひしひしと感じる今日この頃である。

第4位はスポーツである。
これは自らそれをするから観戦するまで幅広くあって、今夏はオリンピックの年であるから観戦の喜びはテレビという文明の利器のお陰もあるが、最近はハイビジョンで見ると現地で見るよりもスポーツをする男女の表情や動きだけでなく観衆や臨場感や感動もお手軽に味わえる。
スポーツができるというのは、一定のそれができる元気な肉体と精神がいるので、絶えず鍛錬をする必要があるのでいわゆる体育会系の人々というのは礼儀作法とか長幼の序とか忍耐心とか肉体を苛めるとかに相当に馴れていて「働く人」としては有用な人が多い。
いずれにしてもカラダを動かすという快楽というのがあって、人間はジッとしているというのは普通苦痛であって、拷問とか虐待とか言うと縛りつけるとか監禁するとかの方法として人を固定しておくというのがあるくらいだから、カラダを自由に動かすというのは真の意味で人間の快楽の原初的なものであろうと思える。

第5位は飲食である。
物を食べたり飲んだりとするというのもあらゆる生き物の最大の快楽となっている。
人間は食うために生きる のか
生きる為に食う のか
不明であるが、こと「食べる」ことについては今の日本では相当に困窮した人でなければその食べ物のぜいたくさえしなければ、食べ物というのはいたるところのあって、とても便利な国となっている。
その最たるものがコンビニエンスストアであるが、これは日本中のいたるところに何万店もあり、普通24時間営業であり、人々は飲むとか食うとかの快楽についてはお金と自由さえあればどんな人でもその快楽を味わうことができる。
昔からすると、また世界中の貧困国からするとまるで天国、パラダイスのような世界に我々は生きていることになる。

第6位は薬物による快楽である。
最も身近な薬物というとやはりアルコールである。
その他タバコとかコーヒーとかもニコチンとかカフェインとかのつきつめれば薬物であるし、さらに簡単に手に入るものとしてはガソリンとかシンナーとかの揮発性の物質にはそれを吸引すると、人間の脳は或る種の快楽を得ることができる。
また、睡眠薬とか精神安定剤とか鎮静剤とかにも一定の快楽を感じるようになっていて、これに依存したり耽溺する人もいる。
違法な薬物とかには麻薬とか覚醒剤とかコカインとかマリファナとか各種あるが、これらの中には毒性も依存性も犯罪性も高く、得られる快楽よりも払うべき代償の方がはるかに多い。
地獄のような生活を自らの責任ではなく味わされている同情すべき国々の多くの人々にとっては、この麻薬以外に人生で得られる快楽がなくやむを得ずそれらに親しまざるを得ない気の毒な人々も結構いて、ただちに「それはカラダに悪いからやめなさい」と素朴な説教を簡単にできない状況もあるようだ。

その他日常生活全般についての快楽は、今の日本には数限りなくあって、例えば喉が渇いて冷たい水を飲むとか寒い時に暖かい衣服を着るとか暑い時に水を浴びるとか、クーラーの中に入るとか疲れた時に甘いものを食べるとか汗をかいてシャワーを浴びるとか、恋人や配偶者や子供に電話をかけるとか手紙を書くとか、歌を歌うとかダンスをするとか、星や雲を眺めるとか疲れて横になるとか、昼寝をするとかペットやぬいぐるみを撫でるとか愛する人をしみじみと抱きしめるとか、快楽を得ることのできる人間の行為というのは恐ろしく無限に近くあるのに、多くの人々は欠けたること、不満なことに目を向けすぎていてそれらを全て知ってしまうまで、つまり死ぬまでその快楽即ち人生の喜びをキチンと味あわないで人生を終える人の何と多いことか・・・と思える。
このことは筆者でも例外ではないので、人生の快楽を追求していくと殆どお金とか名誉とか地位とか社会的成功とかいうものの無意味さを感得することができる上に、快楽を得る行為に最も大切な要素要件というものが自分自身の「感性」つまり快楽や喜びを感じとることのできる力に依るものであることに気づいてしまえば、人生はパラダイスであり天国でもあることに思い至る筈なのであるけれど・・・・

そういう風にならないのが人間の本性というか本質なのかも知れない。

ありがとうございました

追記@
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追記A 
快楽の感覚を知覚する脳の中の経路をA10神経というらしいが、この神経の活性化の為には、それが長く健康的につづけさせる方法としては、脳の前頭連合野を刺激する必要があるが、その刺激の第1は創造するということであるそうな。
即ちアタマを鍛えなければ、もっと言うなら前頭葉を使わなければ長期につづく安定した快楽は得られないということになる。
ちなみに知能の高い人々の上位0.1%のグループの調査によれば、SEXの回数が一般人より多く、それは週に7回以上だそうであるそうな。
羨ましい限りである。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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