コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 自己否定と自己肯定2008. 7.26

ビジネスの世界では「自己否定」が常識である。
経営とか商売というのは環境適応業と言えるので、自己進化・自己変革の為に自己否定から入らなければならない。
つまり現状に満足してはいけないということである。
これは素晴らしい記録を残している野球選手などのプロスポーツ選手には全て言える事で、常に上を目指して努力精進していなければ優秀な新人にすぐに追い越されてしまうし、競争相手とか強力なライバルに自らを研究されてしまって、今年は大活躍できたけれども翌年は最悪だったなんてことは、メジャーリーグに行った特に投手に起こる現象のようだ。
日本人メジャーリーガーの投手の寿命はとても短い気がするのは当然であろう。

心理の世界ではこれを全く真逆に全て「自己肯定」が目標となっている。
即ち「ありのままでいいよ」「そのままでいいよ」「頑張らなくていいよ」という風に現状のままの自分を受容し肯定してもらうのが当面の治療に向けての目標となる。
この辺のことをキッチリと職場や学校や家庭に対して説明していくのも大事な仕事である。

社会の環境というのは益々競争が激しくなっていて、市場原理主義とかグローバリゼーションとか言って、進化とか自己変革できないモノは生き残れないという宿命をおっている。
これは個人も企業も商品もサービスもすべての存在のあり方として必須のことであり、そのサイクルは益々早くなっていて、その寿命は3年か5年、イヤ1年という風にドンドン短くなっている。
そういう理由から、さらに毎日の自己否定、自己変革を個人も企業も迫られているような気がする。
この表題の自己否定か自己肯定かについては現代の厳しいビジネス社会を生きる全ての人々にとっての、いわば大命題である。
この命題に対して筆者が絶対の解答を持っているというワケではないが、ひとつのアイデアを持っているのでここに記してみたい。

それはプライベートとか個人生活とか心理的内面的世界については、絶対の自己肯定「全くありのままでその個人の全存在はOKですヨ」という風に意識的に考えて、社会の評価とか職業上の評価とかのあらゆる身分、肩書き社会的存在についての価値づけを捨て去ってしまって、裸の素のままの身分に戻って「そのままでいいヨ」と言い切れなければならない。
そのくらい自己肯定を深めておくことが一般社会や仕事の場での、謂わば自己否定の世界での戦に臨んでいけるし、多少の会社や組織や社会の否定的な言葉、例えば激しい叱責とか非難とか中傷とかに対して良い意味で鈍感に対処していけると思うのだ。
「生きていけるだけでいいじゃないか」
「人間はみんな生き物としてはメシ食ってクソして寝るだけの存在」でその富とか才能とか身分とかの影響を受けない、純粋に神霊的に肯定された唯一絶対の存在である」
というような感覚を気楽に生きていく為には常に持っておく必要があると思う。

このような心理的なベースや基礎があって初めて自己否定のビジネス社会を悠々と生きていけるのではないかと考えているのだ。

この言葉はあまり好きではないが、敢えて呼称するなら社会でのいわゆる負け組と言われる人々の多くはこのあたりの理屈を混同しているか、誤解しているか無視しているかして、心理的に敗北しているのかも知れない。

つまり、社会的評価の低下イコール自己評価の低下とか、逆に社会的評価の上昇が自己評価の上昇とか言うように、自動的無意識的に連動させている人々が結構多いと思える。
もっと具体的には、給料が下がったので自分の社会的評価が下がったので自動的反射的に「自己否定」をしてしまうというようなことである。
社会的評価と絶対的自己評価とは絶対的に分けて捉えていく必要があるのではないかと考えている。

社会のあらゆる評価、価値づけについて全く無頓着な、絶対的な自己肯定があってこそ学校や職業や社会において自己否定の立場に立ってもビジネスの現場を生き残っていけると常々思うのである。
健康な精神と肉体を持っているにもかかわらず社会での落伍者、敗残者の人々に共通しているのはこの辺の理屈に対する無知の結果生じている社会への心理的態度であって、それは他者(社会や会社や環境)否定であり、誤った自己肯定である。
筆者の言う「誤った自己肯定」とは、自己の価値づけを他者に依存している自己肯定であって、それは具体的に述べるならば自己の本質的価値とは無関係な肩書き、身分とか収入とか地位とかを持ってして自己の本質と認識している全ての人々のことである。
筆者の人物の全般についての価値づけは、殆どの割合でその「人間性」であって、収入とか身分とか地位とかはあまり無関係であるし、この考え方は自分自身に対しても適応させているのでとても気楽な上に、社会的な評価に対する精神的ストレスや評価や非難の圧力に対して割合平気でいられると同時に、皮肉なことにその評価を逆に勝ち得ているという殆ど期待していない他者の価値づけを頂戴しているということもある。
筆者の社会的立場についての認識はいつも私みたいなゴロツキのチンピラの不良中年オヤジがとりあえず生きていけるのは、とりもなおさず関わってくださる全ての人々のお陰であり、究極的恩人といえばやはり両親であり、その両親をはぐくみ育ててくれた祖父母であり、その祖父母の慈愛を与えてくれたであろうご先祖の人々についての深い感謝の念を持っているので、自己のありのままの存在についての否定的気分というのは全く生じない上に、それは他者の否定的な自分に対する言われなき論評に対しても微動もしないし、絶対の自己肯定というものを確信できている。
ありがたいことである。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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