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■ 恩を売ることの功罪について | 2008. 7.15 |
人間は一般的に、人に与えた恩は憶えているが、人にいただいた恩はケロッと忘れてしまって平然としている。 これはこんなこと書いている筆者とて全く例外ではない。 売った恩は人に吹聴するくらいに誇大に記憶していて、それを親しい人に少し漏らしてしまうことがあるので、これは自らの心をよく観察してみると少なからず怯愧たる思いを抱くので気をつけるようにしている。 自分が売った恩を人に語る程恥ずかしいことはなく、またその相手に感謝を要求することも同様にあまり見た目の良いモノではない。 筆者の場合、「恩を売る」という意図はないけれど、人に頼まれ事をした時に、自らの弱い優柔不断の性格の為に「イヤ」と言えず仕方なしに求められたものを「与えてしまう」ことがあるが、結果は意外に良くない。 「与えられた人」を思ったほど幸福にしないばかりか子供の躾と同じように与えすぎた結末は人間関係的には大概最悪となる。 多く「逆恨み」をくうか、逆に悪評判を立てられたりするが、これは考えてみれば当然とも思える心理的なカラクリがあり、少しくこのことについて述べてみたい。 恩をもらった人が、その恩を返していて、それについて恩を売った人が感謝というものをしている時は殆ど良好な人間としての関係がつづくが、恩をもらった人がその恩を忘れるか返していない場合問題がいくつか生じる。 恩を忘れた人(これは結構多い)の場合、恩を返している行為が既に恩を売った人の与え方より多いと勘違いしてしまうことがある。 これは「恩をもらった」過去のことより、「恩を返している」現在の方に意識が向いていて「俺はこんなにしてやってる」などと平気で他の人に吹聴したりして、恩人の不興を買ったり、最終的には人非人のように嫌われることがある。 この「恩を忘れる」人というのは世の中にかなりたくさんいて、それが意図的にしろうっかりにしろ忘れた本人をあまり幸福にも豊かにもしない。 それがやや過激な表現で忘恩の人と呼称させる原因ともなっているが、実は多くの人々がこの「忘恩」を日常的に無意識的に繰り返しているようだ。 例えば金融機関でお金を借りる時には拝み倒してでも借りようとするし、運良く望んだ金銭を貸してもらった時に「一生の願い」が叶えられたように一瞬は大喜びするが、こと返す段になると借りられた時の恩はスッカリ忘れてしまって、利子つきの返済ではあるものの「ありがとうございました」と言いながらお金を返す人など殆ど一般社会には存在しないように見える。 この借金が友人関係になるとさらに非道いことになる。 その借金を「返してくれ」などと言おうものなら露骨にイヤな顔をされる上に、昔の借りた時の恩など全く忘れてしまって取り立てにあらわれた人物を恨み、嫌い、責め立てたりまでする。 誠に矛盾に満ちた理不尽な行動感情であるが、これを普通「逆恨み」というが、むかしのドキュメントや新聞の三面記事にも時々これに似た話が数限りなく出てくる。 「恩を忘れた人」にも問題が起こる。 恩を返さないと自責の念を持ちつづけ、その恩人を避け、心理的な負い目をおいつづけ破壊的な人生を送る人もいる。 昔はしていなかったが、筆者も今は仕方なしに貸した借金も天引きで返してもらっているが、これらの人々との関係は気持ちとしてイーブンであるのであろう、何のテライも摩擦もなく結構良好な関係がつづくようだ。 いずれにしても借りた恩、もらった恩を返そうと必死になる人は男女とも極めて稀であるように見える。 一般社会ではそれが常態であるように思える。 純粋な意味で心の中の感謝というものの心地良さ、気易さによって現実生活の満足感などが格段に上がる筈だ。 あ〜それなのにそれなのに♪♪ 恩を忘れてしまって「逆恨み」をくうのが関の山だ。 逆恨みされない為のコツを少し考えてみると、それは「与えすぎないこと」と思える。 あまり梅雨時に天から降ってくる雨のように与えすぎてしまうと迷惑がられると同時にそれが日本の水道の水のようにあまりにもアタリマエすぎて何の感謝も感じさせないばかりか、チョット水道の出が悪いとワーワー文句を言うような不平不満だらけの人物をつくってしまうような気がする。 晴天つづきで渇水した状態に、時々降る恩着せがましい慈雨のように少しモッタイブッテ降らせる方が有難がれるような気がする。 逆に言うと、何でもかんでもやたらに大袈裟に有難がる「感謝の人」というのは、色々な富や地位や名誉など他人の愛情とか尊敬とかなどこの世の良きモノを自然にたやすく手にすることができるのではないだろうか。 このような「感謝の心」のチカラについては自己啓発書などにクドクドしく何度も何度も出てくるし、着実に実行している人は少ないようだ。 ありがとうございました 追記@ 借りるという字は、にんべんに昔と書くのはどのような背景と意味があるのだろうか。 借りた人というのは昔の人、つまり過去の人になってしまい、純粋な友情を持つ良好な人間関係の終わりを意味しているのかも知れない。 友達を失いたくなかったら「金を貸すな」というのは昔からのひとつの金言ではある。 追記A 「与える」についての智恵は、スペインの啓蒙家であったバルタザール・グラシアンの「賢人の智恵」という書物がことこまかく書いてあって参考になる。 たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |