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■ 世界資源 | 2008. 7.12 |
世界遺産という言葉と概念があり、世界中のそれらを映像で紹介するテレビ番組などもあるが、確かに後世に後々まで残るようにと人類の歴史的芸術とか文化遺産を保全しましょうヨという考えは良く分かる。 一方で、今は世界的な原油高の影響でガソリンをはじめ石油製品が高騰をしだした。 それに連動して全ての物価がジワリジワリと上がっている。 非常に不気味である。 例えば、以前は百円ショップというくらいで店内の全ての商品がオール百円で買い物もしやすかったが、今は100円以上の品もあり普通の店のように値札を見ながら商品を選ばなければならなくなった。 しかし、相変わらず店は盛況であったからこの「値上がり」という現象もモノを買うと言う行動に逆に人々を駆り立てているのかも知れない。 つまり、モノが上がって来たから買い急ごうとか、買いだめしとこうという意思が働くのであろうか。 ところでこの石油というものをよくよく考えてみれば、最初に掘り出した人やその価値を見い出した人は確かにエライとは思うが、その出口にあるというだけでその油田(油の出口)を所有している国が豊かになるというのは少し変だと思う。 その国全体が平等に豊かになり、その富が世界中に拡散して世界中の人々を豊かに幸せにするかというと現在のところ経済的にはそういうことはなさそうで、オイルマネーという呼称で、主として投機的な使われ方、一部の人々のぜいたく品の購入とかどうでも良い建築物とか芸術とかお金そのものを生み出す錬金術的な投資対象、投機物にそれこそ投入されているようである。 そもそも石油産油国というのは、日本にも昔あった田舎の土地成金みたいなものではないだろうか。 例えば、水も世界的資源であるが、これも日本のように水だらけの国ならいざ知らず、砂漠とか平原地帯とかであると小さな川の水や井戸の水なども人々の争いの種になりはしないかと余計な心配までしている。 そもそも石油というのは誰のものなのか。 もしもそれが水のように世界中にあまねくあふれ出るようなごく日常的な物質であるなら、今のような莫大な富をつくり出すことはなかったと思えるが、石油の場合殆ど地下の深いところに眠っており、水のように簡単に掘り出せないばかりか、天から降っても来ず、一定の地域にしか存在しないので、それを掘り出すことのできる地域とか国というのが自然に決まってくるので経済的に見ると話が結構ヤヤコシイ。 つまり、今のところ石油は掘り出した人のものであり、掘り当てた人もしくは国の所有物なので、私有財産の認められた国における土地のようなもので、それを売り買いして富を得ることができるという意味で何となく水資源とひき比べると違和感がある。 その他あらゆる地球上に存する全ての資源という資源は、現時点での水のように人類全体のものとは考えられないのだろうか。 水の場合は、人間だと3日も飲まなければ殆ど死んでしまうので、これが石油のように売買の出来る商品みたいになってしまったら、事態は人類にとって極めて深刻であろう。 血みどろの水争いが生じるかも知れないし、それを所有し売ることの出来る人は巨万の富を築くかも知れないが、世界中石油どころの騒ぎではないであろう。 水の豊富な国というのはあらゆる富の泉を持つかも知れないが、砂漠の国の屈強な軍隊に占領されてしまうかも知れない。 こうして考えてみるとイラクのクウェート侵攻もあながち異常で理不尽な動機とは思えない。 突然に武力を持って他国に侵入するなど持ってのほかであるが、地下水脈と同じように「油脈」があるとすれば隣接する国同士なら想像であるが恐らく「油脈」という視点ならどちらの国の所有物か明瞭に説明できる人はいないであろう。 全て資源は人類の為のモノという考え方以外の理屈はすべて自分勝手な屁理屈になってしまうのではないだろうか。 土地というのも大きく考えれば地球そのものであるから、或る地域をロープで囲って「我が土地である」といくら言い張っても土地もこれまた地球の資源の典型的なものであるから、何となく私有財産を制限している共産主義国・中国の方が或る意味で洗練された進んだ考え方に思える。 世界中の資源という資源というより自然界のすべての物質的なものは人間の作りだしたもの、バクテリアひとつもなくもともと地球上に存在していたものを誰かが発見し活用しているだけである。 このようにツラツラと考えてみると、石油とか土地とかは水とか空気とかと同じように売り買いはしてはいけないとかの法律でもつくったらと思うけれど、そんなことは殆どの現代人、企業人は受け入れないであろう。 儲からなくなるし、自分のモノを自分のモノにしたいという人間の根強い欲望である。 厄介な所有欲というものが邪魔をしてしまう。 どうにも解せないのは地球上にある資源というものの所有者について世界中で議論してみたら面白いと思うのだが、そんなものは恐らくしばらくは実現しないであろう。 石油メジャー力というのは今でも物凄く巨大であるのだ。 追記@ 水も今や商品となっていて、コンビニに行けばペットボトルなる石油製品の透明な使い捨ての瓶に入れられて色々と売られているが、これも考えてみれば不気味である。 追記A その水の売買に不都合であるのだろう。 学校以外では水飲み場というのか、公園や駅や電車の中でも無くなってしまった。 これまた不気味である。 人々は何とかして金銭を得て水を買わなければならないようだ。 幸いなことに、現時点では日本の水道水は飲めるので、日本人だけはこの点については割合鈍感であるように思える。 追記B そのうち空気も瓶に入れて売られるかも知れない。 人身売買も相変わらず存するそうだ。 人類というものの欲望(所有欲)に対する歯止めというのは止められないのであろうか。 一度述べたことであるが、人間の真の意味の所有できるものなどないので、我が肉体ですらわずか100年足らずで自然に返さなければならないので、石油の発掘権、所有権など所有していたとしても、そのうち枯渇してしまうであろうし、中東の人々もそのあたりは心得ているようで、油が尽きたらまたラクダにでも乗って砂漠を放浪して暮らすであろうことは理解し想定しているようではある。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |