コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 新聞報道というもの2008. 7.12

もう10年近く新聞も読まず、テレビも見ないとやや自慢げに嘯いていた、横山秀夫氏のベストセラー小説を拾い読みしてその力作ぶりを解説で読んで、映画化もされていたので丁度良いと「クライマーズハイ」という小説と同じ題名の群馬県にある地方新聞社の編集局に「遊軍記者」を主人公とする、いわゆる「新聞記者モノ」を観て来た。
これは小説も映画もナルホド確かに傑作ではあった。

売れるかどうか分からないけれど・・・。
或る程度予備知識が無いと全然面白くないかも知れないからだ。

個人的には新聞を読んでみようかなぁと少しだけ思ったが、やはり新聞報道というのは紙面に表出された時には、限りなく真実には近づこうとはしているようであるが最終的には新聞社会の人間達のドロドロとした欲望と感情の行き着いた先に創作された「嘘」であることも確認され、やはり読む必要はないとあらためて悟った次第である。
ただ新聞報道というものに命をかけて戦っている人々の激しいやりとりを垣間見ると本当に頭が下がるし、またその報道を必要とする人々にとっては新聞記事というのはただの紙キレではなく、とてつもなく貴重な人生の歴史の資料ともなりうるのであだやおろそかに書いてしまうワケにもいかず、ジャーナリストとしての倫理観と新聞という商売社会にとっての重さがとても人間にとっては厄介な組織というものとの激しい確執とか情念とかがぶつかり合って、まるで戦争映画のようでもあった。

題材は1985年・昭和60年8月12日夕刻、お盆の帰省客とビジネス客とかでパンパンに満席となった日本航空123便の群馬県の御巣鷹山とおいう猛々しい響きのする名称の山地への墜落事故である。

東京から大阪へのごく短い飛行であり、乗り込んだ人々にとっては夕方の便でもあり、ごく日常的でありふれた無意識的行動であったのであるが、機械としての飛行機にとってはただの墜落でっても、人々にとっては歴史的で悲劇的な大惨事ではあった。
何しろ520人ももの人間がいっぺんに亡くなってしまったのだ。
それぞれの個人や家族にとっては大変な悲劇であり、ありふれた日常から、とても悲しく凄惨な非日常の大事件そのものである。
群馬県を舞台にした大事件としては大久保清の連続婦女暴行殺人事件、連合赤軍事件と並んでいずれもむごたらしいけれども、新聞やテレビなどマスメディアからすると言っては悪いがこんなにおいしい事件はない。
何しろ新聞が「飛ぶように売れる」からだ。
こういうところがマスメディアの本当に怖いところだ。
幸せで当たり前のことは全くニュースにならないのだから。

こういう風に考えると、個人と社会とは全く逆方向の欲望を持っているのではないかという仮説が成り立つ。
つまり、個人としては当り前で日常的で平穏で幸せな生活をしていたのに、社会というものは普段は全体としては個人のそれらの日常を容認しているようでいて、コトがあるといっぺんに反転して非日常的で陰惨で不穏当で不幸せな事柄をこれでもかこれでもかと欲しているように見えるということだ。
重ねて不気味であるけれども、個人と社会の欲求が相反してしまうのではないかといつも警戒しておくことは個人の幸福を維持する為に必要なのかも知れない。

新聞記者を題材としたテレビ番組としては「事件記者」というのが昔あって、とても面白かった。
また最近の傑作映画としては、ケイト・ブランシェットが麻薬犯罪を追う勇猛果敢なアイルランド人の女性ジャーナリストを演じた「ベロニカ・ゲリン」というのがあるが、このベロニカさんは実在の人で麻薬犯罪者達に惨殺された。

ホントウにジャーナリストという職業も大変なようですネ。
横死したり若死にしたりする人が多い。
とにかく時間と周囲や社会との軋轢(アツレキ)に追いまくられる大変なストレスであるから個人的にはあまりなりたくない職業のひとつである。

ありがとうございました

追記@
やっぱりそうだったというような結論的な理屈を述べるならば、真実の出来事もそれを報道する人間が間に介在する以上、色々な事情や思い入れによってどうしても歪められてしまい、その純粋性は失われて、一種の創作物になってしまうということだ。
この純粋性を追求するというのがジャーナリストという人々の職業倫理ではないだろうか。

追記A
新聞というものを読まない理屈をさらに見つけてしまったような気がするが、そのひとつにはやはり文章の中身に普遍性に欠けるキライがあるということだ。
真実というものは毎日のごはんのようにクドクドと述べつづけなければならないが、新聞というは全くその真逆である。
文章の形式や紙面のつくり方としては物凄く普遍的ではあるが、中身は実のところ「使い捨て」のゴミに近いものが多いようだ。
筆者の文章もそうかも知れない。

追記B
このJAL123便墜落事件では、当時関連の読み物をずい分読んで驚くべき事実がいくつかあって、1年間に階段から落ちて死ぬ人が500人もいるそうである。
最近の自殺者3万人も、飛行機事故で死んだ方が保険金や保証金の問題もあり微妙な問題を含んでいる。

追記C
タマタマ飛行機に乗らず新幹線で目的地まだ着いた人が、良かった助かったとお祝いをして入浴中に転倒して亡くなったそうである。
この逸話にはチョット驚いた。
死ぬべき人はチャンと死ななければならないとしたら、事故や病気や自殺を問わず、死神というのはどんなに抗しても決然とその人に訪れるものかも知れない。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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