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■ クールビズ批判 | 2008. 7. 7 |
夏になった。 今は役所でも金融機関でも学校でも、大企業から中小企業までもこのクールビズがひとつの流行になっている。 環境に配慮してクーラーの温度設定を上げて、その代わりにネクタイをはずして半袖で涼しくしましょうというワケである。 ところがその見栄えはと言うと、残念ながら個人的にはあまり好印象を持たない。 まずカッコウ良くノーネクタイの「シャツ」の着こなしをしている人が少ない。 言っては悪いがやはりスーツにノーネクタイというのは、正直失業者か警察に逮捕された犯罪の容疑者のように見える。 クーラーのない頃の昔の映画かなんか見ると、昔の日本人は潔く開襟シャツを着るか、扇子かウチワで顔をあおぎながら痩せ我慢をしていたが、その方が結構サマになっていたように思える。 と言うより、そこまでして仕事の装束を保つということそのものにひとつのダンディズムの証しを見てとることができると思うのだ。 「痩せ我慢」「ダンディズム」は切っても切れない深い関係があるのだ。 我慢とか忍耐とか見栄とか媚態のないダンディズムなどないので、このクールビズというファッションには、ダンディズムと相反する、どちらかというと女性的な功利性と日和見的な安易な同調主義が垣間見えて少し情けない印象を持ってしまう。 そういうワケで、今のところ筆者の場合仕事中にネクタイをはずす気はない。 もともと年中半袖シャツであるからこの点ではキチンとしたダンディズムではないが、ネクタイというのは、心理的には男性のペニスの象徴だそうであるから、何があっても男はやめたりしないので多少文化としての変節があったとしてもネクタイはつけていたい。 昔の武士がチョンマゲをしたり、刀を差したりするのと似て、現代では多少滑稽に見えたとしても男の矜持としてこのようなささいなファッションへのこだわりみたいなものは維持していたい・・・というのが言うならば筆者の美意識である。 現代の流行とかモダニズムというものに抵抗しているワケではなく、自分の感性へのこだわりであり、執着である。 ひとつの自己主張とも言える。 時代の風潮にカンタンには「迎合したくないぞ」と言った或る種子供じみた自己満足的な「反骨心」みたいなものであろう。 ありがとうございました 追記@ 藤田まことの「はぐれ刑事」という人気テレビドラマシリーズが昔あったが、この番組では主人公の刑事の「まことさん」が常にノーネクタイであって違和感が強く感じられたが、殆ど関係ないとは思うが件の藤田まことさんも何かのトラブルで借金漬けになって苦しんだようだ。 追記A 中国人のビジネスマンは多く昔からノーネクタイが多い。 最近のベンチャー企業の創業者も皆さんノーネクタイである。 例のホリエモンなど一度もネクタイ姿は見たことがないので、やはり何となく信用できないという印象を持った。 筆者の周辺にも時々ノーネクタイになる幹部の方がいるが、その時には少し緊張感がとれて良い場合もあるが、どちらかというとチカラのない会話が多い。 不思議である。 たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |