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■ 家庭不和とその秩序 | 2008. 7. 5 |
兄弟喧嘩の元になる育て方の考え方のひとつに平等主義というのがある。 つまり「子供達をみんな平等に愛しています」なんて言うと聞こえは良いが、このような教育方針は後になって激しい兄弟同士の不仲、争いを生み出す原因を生み出す可能性がある。 何故かというと、母親や父親に自分が一番愛されたいと子供達は自然に考えるので、例えば兄と弟の二人兄弟がいたとして「あんたは長男だから後継ぎ」である、「あんたは弟だから何でも二番」ですヨというような考え方は一見不平等でよろしくないように思えるかも知れないが、兄にとっても弟にとっても一時的には不条理に感じられるけれども結果的には兄弟間に平和と愛をもたらすことが多い。 このような考え方や教育方針を親が断乎としてこれを決断すれば、それなりに子供等も納得するものだ。 「仕方がない」とか「しょうがない」という風に或る程度洗脳されてしまうワケであるが、だからといって兄弟達が不幸かというとそんなことはあまり無いようである。 昔から「総領の甚六」と言って、多少子供等に出来不出来が生ずるのは遺伝として当然であるけれども、例え長子が多少出来そこないであったとしてもとりあえず長男を「跡取り」に決めるというのは古の人々の賢い考え方でもあるのだ。 まず、兄弟間の跡目争いなどというヤクザ社会のような血生臭い争いが起きにくいであろうし、あらかじめ生まれる前にならわしとか伝統として跡目を決められてしまうというのは、その血族が大きければ大きい程そのメンバーとか一族にとっては、安定感と安心感をもたらすものなのである。 こういうやり方は天皇家とか徳川家とかでは割合厳正に守られてきて、結果として一族の結束と永続を実現できているように見える。 徳川幕府についてはこれらのイザコザも明治維新とか倒幕という結末に微妙にからんでいる。 先頃問題になった「女性天皇」の可否についての話題も「皇室典範」というものに合致しない天皇家の家内の事情があったりしてしばらく世間でも話題になり騒動にもなったが、皇室典範を変えましょうなどということになったら例外ばかり出現してきて皇室のカルマはいっぺんに崩壊してしまうような危険性をその中に孕んでいるとも思える。 そこまで考えていなくても我々のような一般庶民でもあらかじめ家庭内に身分秩序を設定しておかないと、すべからく大騒乱とか血みどろの争いになることを覚悟しておかなければならない。 これらの争いで瓦解崩壊してしまった血族とか集団というのはヨーロッパやアラブ諸国、アフリカ諸国などにいっぱい例があって、今でも枚挙にいとまがない程ごくごくありふれた極めて可能性の高い大問題でもあるのだ。 これらより低層の我々一般庶民であっても、家庭内の秩序、ルール、身分格差、ヒエラルキーは組織としての家庭を維持していく上で結構重大な問題なのである。 学校ではさらに明瞭に存しているし、絶対的に必要である。 学年ごとに決められた先輩後輩、校長先生を中心としたピラミッド組織は決して悪いものではないと思える。 そうでなければ組織の態をなさないので、その運営や活動上結構マズイ事態になるのは目に見えているようだ。 そもそも集団的な学び徒にとって民主主義という考え方はその本義からして有害でさえあるのだ。 であるから、家庭も一緒に暮らす以上小さいながらもひとつの組織であるから、天皇家のようにはいかなくても例えば、 一番エライのは お仏壇の中に鎮座されておられる仏様であり、神道であるなら神棚であり、 二番目は おじいちゃん、おばあちゃんであり、 三番目は、 お父さん、お母さんであり、 四番目は、 長男、長女であり、 五番目は、 長男の嫁(お母さん) 六番目は、 次男、次男の嫁 とかに自然に設定される組織スタイルは非常に儒教的であるけれども、決して悪い習慣ではないと思える。 このように秩序を決められると逆に子供達は生活しやすい筈である。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |