コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ バスケ日記2008. 7. 1

「バスケットボールダイアリーズ」という栄華があって、確かレオナルド・ディカプリオの主演の青春映画であるが、「バスケットボール」というスポーツがそれに没頭している少年達の生きる様子が「拠りどころ」になっていて、その「バスケ」が出来なくなってしまって悲劇的に変貌していく少年達の生活のありようを描いていて、結構共感できる映画であった。

筆者も中学一年からバスケットボールを始めて、今でもプレーをしているので約40年間はつづけているワケであるから我ながら驚きである。
バスケットボールには個人的には麻薬的な魅力があって、どうしてもキッパリとやめられない。
アキレス腱を両足とも断裂させたり、左肩打撲で1年余り日常生活への支障で苦しんだり、持病の不整脈を悪化させたりとあまり健康上良いとは言えないが、少なくともストレスは解消してくれるようであるし、若い仲間達とそれをして「遊ぶ」というには誠に抗しがたい妖女のような魅力がある。

振り返ってみると、筆者の大きなイベントと人生全体の底流を行く大きな水脈の川は、この「バスケットボール」というスポーツが最大であるような気がする。

中学から高校時代は、この典型的なバスケ少年であったので朝から晩までこの練習のことばかり考えていて思春期特有のさまざまな好ましくない誘惑から自分を守ってくれたようであるし、このスポーツはかなり激しいもので、気力体力とともに高い運動神経と人間関係能力、リーダーシップ能力も問われるので、自分自身を相当に鍛錬してくれたと思う。
まずランニングシュートという簡単な基礎プレーが出来なかったので、毎晩のように夜中に寮を抜け出して、当時青空の下にあったバスケットゴールに向かって黙々と練習したものだ。
その後ジャンプシュートという中距離のシュートもかなり練習した。
その頃は体育館が無かったので、巧緻なドリブルができず、我が出身校の同世代のバスケットボールプレーヤーは今でもドリブルは下手クソである。
その代わりパスプレーが中心だったので、逆に下手ばかりであったが校内で一番マラソンの早い長身者とやたらに鼻っ柱の強くケンカ早い5人組のメンバーだったけれども、中学の時は一回だけ市内の中学生大会でベスト4になったことがあった。
今思えばそんなに上手なワケでもなかったから大したものである。
単純なプレーしか出来なかったのが良かったのかも知れない。
今の中学生のとても巧みなプレーぶりには及びもつかないが、理由の根拠もないが、架空の対戦をしたとすると、私達のメンバーの勝ちではないかと思える。
勝手な想像ですけど勝負へのこだわりがはるかに強烈であったか・・・。

大学時代でもいわゆるスタメンであったが、あまり練習もせずもともと運動神経が大したことなかったのか、その頃より自分がバスケが下手クソなのではないかと思っていたが、最近では明瞭にそれを感じている。
そもそも全てにわったてとても無器用な、どちらかというと「努力の人」なのだ。
努力をやめた途端に急に何事もヘタになる。
怠惰怠慢に弱いと言える。
決して決して天才肌ではない。
何事もコツコツコツコツ、着々着々とした努力の積み重ねで、殆どの日常や学業や仕事での花や果実を咲かせたり実らせたりしたと勝手に自己評価している。

バスケットボールから得たものを列記していくと、
@今の奥さん
 実は開業医になってからバスケットボールのクラブチームで知り合った女性である。
今でも奥さんの方がバスケットボールは上手だ。
何しろそれで体育大学まで進学したくらいだ。
この人はあまり練習もしないのに上手にプレーをする。
恐らく天性なのであろう。

Aリーダーシップ能力
 開業医をしていつも自分のスタッフや患者さんがみんなキチンと自分の言うことを聞いてくれるので、ワガママになりやすく人間関係についての努力を怠る傾向があるが、これを正してくれたのがこのバスケクラブチームだった。
実力の世界であるし、いくらキャプテンであっても社会人チームであるのでそうそう簡単には言うことを聞いてもらえない。
学生時代とか中学高校時代のように先輩後輩とかケンカの強さも通用しない。
純粋な意味での人望とか人気とか人柄とか総合的な人間力を問われ、とても勉強になった。
この面でも無器用であったので、色々本を読みリーダーの学問について勉強をした。
正直に言うと医者の仕事よりもはるかに苦学した。
中学時代と同じく毎晩の練習で何とかかんとか6年間のキャプテンとスタメン3年くらいは維持できたが、その頃からメンバーの人々よりも2倍から3倍は努力したと思う。

B気力、体力、忍耐力
 これらは毎日毎晩の練習から勉強で自然に身についた。
結果が必ず出たとは言い難い感じがする。
「センセーはシュートがうまい」と言われた時期もあるが、この時に自分の練習量と引き合わせると実は大した結果ではなかった感覚である。
体力はトライアスロンという過酷と言われる競技の大会に3年間出場できたくらいの体力を獲得できた。
忍耐力は主に人間関係の苦悩で得た。
最もケンカ早いのがひどくなったり治まったりしながら全体的に人格の淘汰に役立ったような気がする。
バスケットボールのお陰でとんでもないエゴイストの自分が何とかかんとか社会で生きていける最大最良の頚木となった。

C快楽
 純粋にカラダを自由に動かすという喜びである。
実のところスポーツが好きだと思ったことはないが、それは観戦とか監督とかコーチであって、それを「する」のは大好きであることに最近初めて気がついた。
ホント不器用ですネ。

D友人と仲間
 年令とか利害を越えて純粋に裸の人間として付き合う友人を得た。
これはすべての趣味人とか同好の人々の間に生じるものであるけれど、自分は孤独好きと思っていたので、このような喜びについては最近になって気づいた。
何でもつづけていれば色々と気づくことが多いものだ。
まさに継続はチカラなりだ。

実は今でもバスケの個人練習はしている。
それは「走り込み」とか「筋トレ」であるが、これも習慣になりつつあってまたしても人生の生活時間に半ば儀式的な強迫的な時間を増やしていて正直なところ少し心配している。

ありがとうございました

追記@
最近このバスケの分野でも「憧れのプレイヤー」が出現していて自分を元気にしてくれている。
それはNBAの選手とか全日本の選手とかではなく、同じ県リーグの男であるが、モチロン年下であり特にハンサムでも長身でもないがとにかくプレーがカッコイイのだ。
それが最近の練習の目標になっていて、仕事の励みにもなっている。
我ながら不思議である。
断っておくが、自分はゲイではないが純粋に好きとか憧れる対象は何故か男が多く、まるでヤクザ映画みたいだとこれまた最近気づいた。
女性とは可愛いがる存在であって、憧れる存在ではないような気がする。

追記A
高校時代に、担任の先生にまだ「バスケット」してるのかと言われ、部活をやめたところ、逆に成績が下がってしまい、色々な「大人の誘惑」に負けてしまい、いらい3年間くらいはロクなことはなかった。
恐らく若いエネルギーが余ってしまったのであろう。
これは思春期の子供を持つ親御さんにお伝えしたいことであるが、特に男子の場合肉体的に「元気過ぎる」と勉強に支障が出てくる。
これは大学生にも中年にも言える。
「大人の誘惑」というのはホトホト男は弱いものである。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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