コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ これで良かった2008. 6.28

後悔と反省は似て非なるものだ。
一生を後悔と自虐に生きている人々も時々見られてモッタイナイなぁと思いこれを書いている。

どんな人でも,あの時こうすれば良かったとかあ〜すれば良かったとかこれで良かったんだろうかと後悔することがあると思う。
それがチョットした不注意とか「魔が差した」みたいなホンノ些細な自分や他人のミスで生じた大事件や大きな被害であれば「後悔する」というのも確かに共感できるものが多い。
けれども、それでも「これで良かったんだ」と確信できる人こそ本当の賢者であり、人生の達人の考え方ではないだろうか?

近頃日本に対する原爆投下に対して「しょうがない」と発言してしまった閣僚が、それこそ「大きな失言」ということで辞任に追い込まれたが、その発言も多少不注意であったかも知れないが、「しょうがない」という考え方は結構心の健康や人生全般についてどちらかというと好もしいものではないだろうか。

何故かというと今のところタイムマシンという夢の機械も発明されておらず、「過去は変えられない」という厳然たる事実があるので、過去のことを反省するのは一向に構わないけれども、ただの後悔つまり後になって悔やむというのは極めて非生産的な上に、人生における最大の損失だと思われて仕方ない。
それは、過去の出来事というものを消し去りたいということで、記憶の損失であると同時にそのことで悩み苦しむという現在の損失がある。
何度も述べてきたように人間に所有できる時間は「今」しかない。
この大事な「今」という貴重な時間を過去の後悔というもので汚染させることは、先述したようにとてもモッタイナイと思えるのだ。
それでは過去の出来事についてどのように考えたら良いかと言うと、結論としては

「これで良かったんだ」
「あの出来事は私の人生にとって何らかの意味があったのだ」

という風に過去の出来事について、それがいかなるものであっても何らかのプラスの面を見い出していくとか肯定的な解析をするというものだ。
これは結構洗練された良知と苦悩の経験がいるものだ。
過去の出来事についての解釈の仕方に多様性と柔軟性を要するからだが、究極的にはすべての出来事に感謝、「すべての人に感謝」という心の態度をとれば良いそうである。
何かしらの悪性の病気に対してすらも、それは「良かったんだ」と感謝すればたとえ余命もいくばくもないというような「宣告」をされる程の末期的病者であっても生還することがあるそうである。
「感謝の心」には偉大な力がでるものらしい。
人間関係における「至誠天に通ず」のように「感謝の心は天にとどき、天恵として奇跡的治療が起こる」というような逸話は色々な書物でかなり見い出される。
或る有名な産婦人科のドクターが、この理屈を末期の癌患者さんに熱心に説いて、その病気を完治させたというような事実もあり、この理論の実例となっている。

過去についてはやはり最も好もしい心の態度としては、感謝が一番であり、「これで良かったんだ」という肯定的な解釈や意味づけはとても人生や日常の生活について好もしい影響を及ぼすと考えられる。
一方では「後悔しつづける」とか「誰かを恨みつづける」とかいうようなあまり人生にとって好もしくない心の持ち方をされる人もかなり多く、大概これらの人々は苦悩のあまりうつ病やアルコール依存、薬物依存に陥ることが多い。

追記@
人生に起こったことすべてに何かしらの意味やメッセージを見い出すという心の作業は意識的に行う必要があるが、これは若いときには難しいようだ。
或る程度年輪を重ね自らの暮らし方人生を振り返った時にすべてに意味があったことに筆者自身も気づいたのは最近のことである。
そして、運命の大転換になるようなビッグイベントというのは、ホンノささやかな出来事や出会いを通じて起こるので、もしも人生を幸運良運に溢れたものにしたければ、そのような僅かな兆候を見逃さないようにしなくてはならないし、日頃から良い心がけを持っていなければならないし、悪い兆しにも敏感でなければならない・・・と思える。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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