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■ 帝王学について | 2008. 6.28 |
帝王の為の学問と言うことであるが、若い時20代頃から何故かこれを読んでいた。 不思議である。 別に理由はなく、特に興味があったワケではないからである。 リーダーシップ研修というものに嫌々参加した時も、「リーダーになります」なんて手を挙げたこともなく、スポーツクラブのキャプテンとか学級委員とか自ら買って出たこともない。 ただこれも何故か仕方なくそういう身分にならされる羽目にはなったが、決してその立場に自分が向いていると言う風にも感じていなかった。 けれども母親が後になって言うには、姓名判断で調べると、頭領運即ちリーダーシップの才とか運がありますヨと言われていたので、自然に感化されてそうなったのかも知れない。 色々な役を医師会とか青年会議所とかで賜ったけれども、どうも自分がそういう身分特に副○○とかただの平理事とか、副理事長などというものは向かないようで、1〜2度それにならされた時は、結構な苦痛を味わって、生まれて初めて「胃痛」の為に病院に行くことになったこともある。 当時も既に医者であったのでこんなに情けない思いをしたことはなかった。 しかしその時には「病院の点滴治療」というものがこんなに良く効くと思ったことはなかった。 前置きが長くなったが、この帝王学について少し述べてみたい。 一般的に帝王学というと、ローマの5賢帝の一人であったマルクス・アウレリウスの「瞑想緑」が有名である。 マルクス・アウレリウスは、正真正銘の帝王であったので、当時から家庭教師みたいな人に徹底的に仕込まれたらしい。 要点を述べるならば「人臣を愛せ」とか「臣下の言にはよく耳を傾けヨ」とか「質素に暮らせ」とか割合帝王学としては一般的なものである。 一方我が日本では、中国の古典の中にも「政観政要(ジョウガンセイヨウ)」と「宗名臣言行緑(ソウメイシンゲンコウロク)」の2書が帝王学教科書として有名である。 中国の唐の時代というのは何と800年もつづいたそうで、唐の始祖の二代目である「太宗」と君臣たちの会話をつづったものであるが、これらは我が国でも徳川家とか天皇家でもテキストとして今でも読みつがれているらしい。 天皇家は2700年近く、徳川家でも250年程はつづいたので、世界的にも最古の主家となっているし、いわゆる摂政としての徳川家の250年も結構長いものであるから大したものである。 唐の太宗の政治は「政観の冶」と呼ばれて国の草創期にしては極めて良く治めてこれたらしい。 有名な秦の始皇帝、即ち帝王の始まりとされる秦の時代は何と僅か16年だったそうであるから、この差は一体何かというと、この帝王学の問題であるというひとつの歴史的教訓的学習知として後世に伝えられているというワケである。 この帝王学をいくつかまとめて重要な順に述べるなら、 @帝王としての品格を持ちなさい A質素に暮らしなさい、ぜいたくな生活はダメヨ B人の話に素直に耳を傾けなさい、常に謙虚でいて驕り高ぶってはイケマセンヨ C人民、臣民を愛しなさい Dよく勉強しなさい だいたいこんな内容であるから、あまり難しいことではなく単純なものである。 特にA質素に暮らしなさいといところは繰り返し出てくるところで、帝王だから贅沢三昧しても良いかというとそういうことはないらしい。 逆に帝王というのは質素に生活しなければならないようだ。 ぜいたくな生活をめざして帝王になった人は、その栄華も長続きはしないことを肝に銘じなければならないようだ。 一部の芸能人とか成り上がりの中小企業の社長さんとかは、この帝王学を勉強していないと殆どの人が奢侈で贅沢な生活をして、自らの組織や企業や家族を没落させてしまう。 永続的繁栄を子孫や自らの生活に望むならば、ぜいたくな生活というのは厳に戒めなければならない。 ・・・けれども多くの富俗層と呼ばれる人々は、このぜいたくな生活を好まれるようであるし、現代の経済構造からも多くの人にぜいたくな生活をできるだけ豪勢にしてもらわなければ景気はよくならないような錯覚を感じさせるようなメディアの誘導や洗脳が見られるので、理屈としては結構ヤヤコシイ。 一般の普通の地域社会を見まわしても没落する家というのはだいたいすぐに予測がつくものだ。 それは「派手な暮らしぶり」というものだ。 倒産企業のトップは倒産直前には急に豪邸を建てたり高級車を買ったり、豪華な別荘や妾宅を構えたりするものであるようだ。 このあたりの知識は金融機関でも最近は持っているらしく、外車の保有とかゴルフのシングルというような昔のステータスは、今では逆に信用を落とすこともあるらしいと聞く。 その組織のトップが帝王でいつづけたいという人、少なくとも家や企業を経える(ながらえる)、永続させるという意図があるならば、先述した帝王学のポイントは抑えておきたいものだ。 追記@ 以前に国の諮問機関の臨時行政改革委員長、いわゆる臨調の長を90才までしていた元経団連の会長で、元東芝の社長でもあった土光敏夫という人の質素な暮らしぶりは有名で、電器製造会社の社長であったにもかかわらず家にはクーラーもなく、ワイシャツもクリーニングに出さず家で洗い、一般の民家と殆ど同じとてもつつましい住居に暮らしていたそうである。 さらに逸話として残っているのは、海外出張などでホテルに泊まる時もシャツや靴下は自分で洗っていたそうであるからとても軽装であったらしい。 土光家が今どうなっているか不明であるが、少なくともTOUSHIBA(東芝)は相変わらず有名企業である。 追記A 筆者の親族も土光さんと同じく日蓮宗の熱心な信者であるが、地元でも大変な優良企業であり、資産も相当なものであるがその暮らしぶりは質素すぎるくらい質素である。 大した財産もない医者の筆者よりも地味であるから、「帝王学」を学んでいるのであろうか。 土光さんも親戚の社長もアタマが禿げているし、大変な努力家であるし、信心者でもあるのでこれらは筆者にも部分的に遺伝しているかも知れないけれど、現時点では大したことはない。 帝王も大変です。 追記B 一般庶民でもこの「帝王学」を学んでいるとお得である。 色々な場面で生じる危機を脱することができる。 過程の中の「帝王」は父か母かはたまたお祖父さんかお祖母さんかさまざまであるが、どんな企業でもリーダーの器量としては、極めて重要であるので教養として身につけておくと良いであろう。 追記C いわゆる成功者でも、最終目標が「ぜいたくな生活」である人というのは失敗者であるそうである。 真の成功者は必ず他者の幸福を願うものだそうだ。 他者の幸福こそ自らの幸福と本心から言い切れる人はもう既に成功者と呼べるかも知れない。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |