コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 退化論2008. 6.21

経営者の中には「ダーウィンの進化論」の信奉者が多く、「生物は強い者でも大きい者でもなく、環境に適応する者が生き残ることができる」という、謂わば経済界の中では定説となっているこの言葉は、この進化論からの引用である。

環境というのはどんどん変化する。
自分自身の肉体も考えてみれば環境の一部であるから、日々刻々と変化している。
もっと具体的には老いるか成長するかのいずれかがこの生身のカラダやココロにも起こっていて、決して一定で無変化ということはない。
こういうことを考えながら街の雑踏や車の流れを眺めていると、一番変化していて無常なものが人間であることに気づく。
100年もすれば、この歩いている、あるいは運転している人々は殆ど残らず死んでいる筈であるから、人類が繁殖や生殖をやめてしまったならば、マチガイナク人間という種は絶滅してしまうであろう。
話を戻すが、この進化論では猿から人間への「進化」は環境の変化によるものであるらしい。
何らかの原因による自然環境の急激な変化によって、森の中に木にぶら下がりながら果物や木の実を食してのんびりと安住していた猿達の中で、一部の猿達は木の生えていない平原に住まわざるを得なくなり、猛獣から身を守る為に木を登る必要があり、緊張すると手に汗をかいて木登りに適した手を「手に入れ」、また木にぶら下がるワケもいかず、自然に立って歩くことを憶えたそうであるが、このあたりの研究は南米の太平洋沖のガラパゴス諸島のさまざまな生物達の生態の観察から、ダーウィン先生が「思いついた理論」であるが、多くの生物の観察によってもこの理論を裏づけるような「進化」の証はこの世界には数限りなくあって、キリスト教の天地創造とか人間創造説と少しこの進化論は対立的であったが、近頃はこの宗教の立場と自然観察の結果のあいだには何となくの妥協がなされているようである。

さて、この進化論になぞらえて退化論というものを考えてみた。
言うまでもなく「ダーウィンの進化論」の中には退化論も含まれている。
つまり、環境に適応できなかった種は絶滅するか何らかの進化、適応を獲得しなければ生きていくことができないと同時に、環境に不用になった機能はどんどんと退化していくものである筈である。
最近の若い人達と年配の人達を比較し、その生態を観察していると、退化したものも結構目につく。
モチロン進化した機能や能力も多いであろうけれども・・・。
日本のこの1000年くらいの歴史でも鎌倉時代、室町時代からひきつづいた戦国時代には日本人の体格はずい分と大きくて、今の西洋人なみだったことが当時の鎧のサイズから推測され、一方イギリスの旅行で観察した甲冑の大きさを考慮してみると意外に小さいなぁという感想を持った。
つまり戦国時代、当時の日本人のカラダのサイズは世界標準かやや大きめであり、また「団塊の世代」という造語をつくった堺屋太一氏の説によれば、世界中の鉄砲の所有数では当時の日本は世界一だったそうである。ついでにGNPも最高で、今で言う先進国・軍事大国ということになるのかも知れない。

一方300年余りの平和を謳歌した江戸時代には、人々はどんどん小柄になり、軟弱になり、顔も小造りになり、丸顔になり、或る意味戦いには適さない人間に退化してしまったが、この辺の退化した部分を補うように、いわゆる武士道としてもののふの魂として生きつづけ、明治維新から昭和までの長い長い戦争のあいだに日本人も少しずつ戦いに適応した為か体格も筋力もかなり向上して、さらに今では食生活も欧米化した為か手足の長い色の白い西洋人的な風貌の若者がずい分と増えたようだ。

余説ではあるが、明治維新の頃の日本人の写真集の中で特に芸者さんや高貴な身分の女性達の写真集を見たが、確かに世界中どこに出しても恥ずかしくないような目を瞠るような知的で上品な美人が満載されていたと同時に筋骨逞しく色の浅黒い、どちらかというと丸顔で顎の張った明るく無邪気な表情の、いわゆる典型的な日本人の男女の写真も見れて、現代の若い人々の顔つきとは全然異なった印象を持つ民族を思わせる変化も見い出すことができる。

ダーウィン先生の進化論的に退化論の結論を述べるならば、あらゆる古典や物語や小説やビジネス書や自己啓発書にある内容を総合的にまとめてみても、或るひとつの結論を見い出すことができる。
それは、「人間は厳しい環境の中では進化し、安易で優しい環境の中では退化する」ということである。
ビジネスの世界に限らず、教育にしろスポーツにしろ政治にしろ経済にしろ全ての事柄にこの理論は当てはまり、その結果を毎日世界中で見い出すことができる。
そういう理屈を知っている教育者や親達は敢えて子供達に厳しく接するが、これはアメリカの富裕層には特に顕著に表出され、富裕層の子供達は多く新聞配達のアルバイトをさせられ、小遣いもあまり与えられず、貧しい人々と変わらない金銭環境の中にいたが、最近は少し事情が異なるらしい。

いずれにしても優れた個人というものも、生活全般すべてではないが、これはと思ったこと・決めたことについては安易な方より厳しい方を選択する習慣があるようだ。

IBMという会社は、マイクロソフトのビル・ゲイツにビジネス上は一時期マンマとしてやられたが、今は相変わらず優良な世界的企業となっている。
この会社のシンボルマーク・社章は「野ガモ」で、何故野ガモかというと、昔オランダのシーランドという村の湖に本来は渡り鳥である野ガモが毎年やって来ていたが、ある心優しい人が餌をまいて居つかせてしまったところ、大洪水になった時にいつのまに飛べ立てなくなって全滅してしまったという逸話から獲得された野ガモの精神で仕事をしましょうという意味である。
いつまでも安逸に遊惰に流されることもなく、常に厳しい環境にいようという精神から生まれたらしい。

アメリカの経済学者の「ゆでガエル現象」という学説もビジネスの世界では常識で、カエルを熱湯の中に投げ入れればすぐに飛び出して生命を守るが、水鍋に入れて少しずつゆであげれば確実にゆで卵ならぬゆでガエルの出来上がり。
ナムアミダブツ。
合掌となる。

私達も何かしら選択を迫られた時に厳しい方を選ぶ方が賢明かも知れない。
自らをゆでガエルにしない為に。
生き延びる為に。
進化し続けるために。

ありがとうございました

追記
このような話は心を病んでいる人には不向きである。
心の病の人の多くは逆に「頑張りすぎた」結果として何らかの不具合を生じているワケであるので、このような理屈は苦手である。
もっと頑張らなければと思うからである。
ただし、幼い時に厳しい環境の中に育った人は多分にトラウマティックではあるが、逆境に強い、少々のストレスには全く動じない、逞しい精神と肉体を手に入れて多少抑うつ的ではあるものの退化しにくい傾向にあると思える。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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